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スパイと呼ばれた韓国人「日本に行くために22歳で結婚した」韓国でエリート大学生だった盧廷潤はなぜJリーガーになったのか「広島は本当にいいチームだった」
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キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byNumberWeb
posted2026/08/27 11:06
ソウルで取材に応じた盧廷潤(55歳)
盧が日本にやってきたのは、Jリーグが開幕した1993年だ。
富平高校時代からU-17、U-19と世代別代表に名を連ね、いわゆる「エレベーターコース」に乗ったエリートだった盧は名門・高麗大学に進学した。転機はそこで訪れる。サンフレッチェ広島の初代総監督を務めた今西和男が別の選手の視察を目的に韓国を訪れていた試合で、盧はハットトリックを決める。
「本当は他の選手を見る予定だったのに、私を欲しいとなったんです。すぐ1週間のテストをして、3日目で『オッケー』と言われました。私にも迷いはなかったです」
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「チャレンジします」。即答だった。
ただ、当時の日韓関係は、現在とはまるで違う。日本がまだW杯に一度も出場していない時代、アジアをリードしていたのは韓国だった。「サッカーでは韓国が上」という力関係は明白で、何より新たに発足したJリーグがどこまで発展するか未知数だった。
Kリーグの国内ドラフトで油公(現・済州ユナイテッド)への入団が既定路線とみられていた期待の新星が、最大のライバル国へ渡る――。言わずもがな、その決断に批判が飛び交った。「スパイ」「売国奴め!」といった激しい言葉まで浴びせられたと盧は当時を振り返る。
「でも、あの時代は、誰が行っても差別を受けたと思います。年代別代表からずっと上がってきた選手が、なぜ日本に行くんだという話ですから。日本で成功しなかったら韓国にも帰れない。行くところがなかったんですよ。だから、Jリーグではあれだけ一生懸命に走れたし、走ったんだと思います」
大学卒業後、22歳のときに結婚。「日本に行くために早く結婚した」という妻と共に、広島へ渡った。韓国人Jリーガー第1号の誕生の裏には退路を断つ覚悟があった。


