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天山広吉55歳「新日本一筋35年」のプロレス人生…カメラがとらえた“新人時代から引退まで”「ここまで来られたのは奇跡」“2日で辞めて再入門”の過去
posted2026/08/20 17:55
35年間のレスラー生活に終止符を打ち引退した新日本プロレスの猛牛・天山広吉。8月15日、両国国技館
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原悦生Essei Hara
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Essei Hara
新日本プロレスの天山広吉(本名・山本広吉/55歳)が8月15日、両国国技館で引退した。天山の最後を見届けたいというファンで、チケットは完売だった。
35年のレスラー人生の幕引きに、天山はライバルであり「テンコジ」のタッグでも知られる盟友の小島聡を指名した。メインイベントで5分1本勝負を戦う予定だったが、天山はそれを時間無制限1本勝負に変更した。
「5分ではねえ、お客さんも納得しないだろうし。自分的には、コジとトコトンやり切りたいっていう、そういう気持ちだったんで。自分にとって仲間であり、ライバルでもある、そして盟友でもあるコジと試合ができて、もう勝っても負けても、とにかくぶつかって、コジと戦いたかった。引き分け? そんな最後は後味悪いから。とにかく、コジのラリアット痛かった」
「これで選手としてはもう終わりなんだなって…」
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天山は首筋に手を当てていた。
「本当に最後首が折れるかと思いましたけど、身も心もスッキリっていう感じで。これで何も悔いはなく次のスタートに立てるかなと思いますね。なんかもう泣いちゃうかなと、ボロボロ泣いてしゃべれないかなと思ったんですけど。(大の字になって)両国国技館の天井を見て、ああもう、これで選手としてはもう終わりなんだなって、やっぱり、感慨深いものがありましたけれど、なんか、涙が出てこなかった。枯れちゃったのかもしれない、それこそ。そういうのも全部抜けちゃった感じ。最後の最後に天山コールで応援していただいて何より元気をもらいました。号泣しちゃおうかと思ったんですけれど、涙が出てこなかった。家に帰って泣きます」
天山は満員の観客にモンゴリアンチョップや頭突き、アナコンダバイスは見せることはできたが、コジコジカッターからラリアット3発を真正面から浴びてフォールされた。体力の限界のラストファイトだった。
「受けも攻めもなかなか思うようにいかなかった。でもお客さんの声援があってここまでできた。本当に感謝しています」
2日で辞めて再入門「今度は逃げるなよ」
山本広吉は1971年3月23日、京都に生まれた。ひ弱で病弱な子供だったが、バスケットボールやボディビルを始めて丈夫になった。そしてプロレスに惹かれるようになる。
高校卒業後に京都から単身で上京して、当時、山本小鉄がやっていた「新日本プロレス学校」でトレーニングを積んでから、入門テストに合格した。
「1990年3月に、一度入門したんです。入りたくて仕方なかった新日本プロレスだったのに、2日目に衝動的に辞めちゃったんですよ。練習がきついとかじゃなくて、なんか雰囲気に耐えられなくて、この世界はちょっと違うのかなって落ち込んじゃって。プロレスが好きなのに2日で辞めちゃった。夜逃げみたいに出て行く人が多いんですけど、ちょっとでもお世話になったから挨拶だけでもと思って、橋本(真也)さんには話しました」
山本は京都の実家に戻ったが、時間が経つと「やっぱりプロレスがやりたい」と思うようになる。
「山本小鉄さんに『もう一度チャンスをいただけませんか?』と言いました。そうしたら『わかった。今度は逃げるなよ』と言ってくださって、再入門を許してもらいました」


