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天山広吉55歳「新日本一筋35年」のプロレス人生…カメラがとらえた“新人時代から引退まで”「ここまで来られたのは奇跡」“2日で辞めて再入門”の過去
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原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2026/08/20 17:55
35年間のレスラー生活に終止符を打ち引退した新日本プロレスの猛牛・天山広吉。8月15日、両国国技館
京都に帰っている4月の間に西村修と小原道由が入門したことで、5月に野毛の道場に戻ったら山本は2人の後輩になってしまった。
「運命の悪戯というか、一度自分が辞めてしまったことで、先輩後輩が逆転してしまったんです。たった1カ月なんですけど。西村さんはプロレス学校の同期で仲もよかったんですけど、小原さんは国士舘大学の柔道部出身で歳も3つ上。自分にめっちゃ当たりがきつかった」
だが、山本のキャラクターとなる“猛牛”は小原に「牛に似ている」と言われたことがきっかけだったのは事実だ。
「勘弁してくださいよ」砂に埋められ、爪楊枝を額に…
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1991年に若手を撮影した写真がある。道場から土手を越えた多摩川の河川敷のススキの中で夕刻に5人が写っている。1992年にスタジオで撮った写真には4人が並んでいる。西村は1990年4月入門(デビューは1991年4月)、小原は1990年4月入門(デビューは1990年6月)、金本浩二は1990年6月入門(デビューは1990年11月)、小島は1991年2月入門(1991年7月デビュー)という構図だ。山本は1990年5月入門(1991年1月デビュー)だ。入門、デビュー、年齢。同期のような感じでも、複雑な先輩後輩の関係が作られた。
「1日でも違ったら先輩になるという世界ですからね」
山本は橋本の付き人を任された。橋本は練習が終わってもずっと合宿所でテレビを見て、なかなか家に帰らないから気が休まらなかった、という。
「自分の部屋にも戻れないし、ちゃんこ番だったり電話番だったりすると、ずっと下にいなきゃいけないんで、付き人というか、もう家来みたいな生活でした」
獣神サンダー・ライガーも合宿所の2階に住んでいたから、2人には「こんなことまで」という雑用をさせられ、度を越えたいたずらの餌食に何度もなった。それは「いたずら」と呼ぶには過激すぎるものもあった。よく話に出てくる橋本が仕留めたスズメを食べさせられたことくらいは、まだ序の口なのかもしれない。耐えがたいことも多々あっただろうけれど、今度は辞められない。山本は歯を食いしばった。
山本はよく練習していた。デビューして少し経った頃、ファイティングポーズを撮ったこともある。細かったが、引き締まったいい体をしていた。そのころからモンゴリアンチョップを使っていた記憶がある。
沖縄の浜辺では休日にライガーたちに砂に埋められた。観念したように首だけ出して「勘弁してくださいよ」と耐え忍んでいた姿を思い出した。
山本が自分の額に爪楊枝を突き刺す宴会芸はすでに知れ渡っていた。普段は笑いながら自分で何本か刺していたものだが、この日は無抵抗の額に何本もの楊枝が刺された。今ならコンプライアンス的にアウトなのだろうが、当時はごく普通の余興として、むしろ、楊枝刺しはプロレスラーとしての山本を印象付けていた。
山本はプロレスラーらしい存在だった。私はそんな山本が好きだった。1993年のヤングライオン杯で西村を破り優勝すると、6月から海外に出た。




