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天山広吉55歳「新日本一筋35年」のプロレス人生…カメラがとらえた“新人時代から引退まで”「ここまで来られたのは奇跡」“2日で辞めて再入門”の過去
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原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2026/08/20 17:55
35年間のレスラー生活に終止符を打ち引退した新日本プロレスの猛牛・天山広吉。8月15日、両国国技館
90kgだった体重は125kgに…G1連覇の偉業
カナダの大剛鉄之助のルートでオーストリアのオットー・ワンツのプロモーションCWAでの修行が始まり、グラーツやドイツのブレーメンでも試合をした。カルガリーを経て1995年1月に帰国すると、リングネームを「天山広吉」に変えた。中国の天山山脈から取って大剛が名付けたものだ。体が大きくなった天山がいた。
天山は蝶野正洋とヒロ斎藤の狼群団に加わった。天山は自信がついてきた。外国人レスラーとも十分に渡り合えるようになった。蝶野とのタッグ、蝶野や武藤敬司とのnWoJAPAN があって、小島とのタッグ、テンコジがあった。だがその小島が全日本プロレスに行ってしまう。
2002年の『G1 CLIMAX』は優勝できるんじゃないかと手ごたえを感じていた。だが、天山の願いはかなわなかった。天山の心は病んだが、翌年もう一度G1にかけてみようと決意した。
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再修行は大剛のいるカナダ・カルガリー。テーマはとにかく体を大きくすること。「肉体改造」というと聞こえはいいが、大剛流はみっちり練習して汗を流したら、その後は「とにかくメシを腹いっぱい食って、寝るのが一番。人よりも2、3倍もメシを食ってトレーニングしろ」「見た目がまず大きくなくてはいけない」というものだった。酒も飲まされた。もちろん大剛流にはプロテインはなしだが、ウェイトは短期間でも6kg増えた。デビュー時は90kgだった体は125kgまでになっていた。
「大剛さんも亡くなられて、天国で見守ってくれてると思うんですけど、とにかくいろんな人に支えられて、助けていただいて、指導していただいた」
天山は「2003年、2004年がプロレスラーとして一番いい時期だったと思います」と言う。
2003年の『G1 CLIMAX』で天山はブレイクする。アナコンダバイスという袈裟固め式の絞め技を武器に、優勝戦でノアの秋山準を倒した。あの瞬間の感動は忘れがたい。翌2004年のG1では最終日の決勝トーナメントで中邑真輔、柴田勝頼、棚橋弘至を次々と破り、2連覇を達成した。そこには強い天山がいた。天山は立派に新日本プロレスのトップに立っていた。
ただ、IWGPヘビー級王座には4度もついているが、いずれもなぜか短命だった。
全日本プロレスに移った小島とは2005年2月に三冠ヘビー級王座とIWGPヘビー級王座をかけて対戦したが、天山が59分過ぎに脱水症状で立ち上がれずKO負けを喫した。天山は病院に送られた。あれも両国国技館だった。小島が三冠とIWGPを同時に手にした唯一のレスラーになった。
「思い出したくない苦い記憶です。バッシングもあったし、自分でもプロレスラーとしてこれからもうできないんじゃないかってくらい追い込まれて。肉体的にも精神的にもダメージが大きかった」
同年5月、天山は東京ドームで小島からIWGPを奪還したが、敗北があまりにも印象的だった。





