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甲子園の風BACK NUMBER
池田、PL学園の時代から激変…甲子園アルプス“応援を変えた”千葉の男性は何者? 「仙台育英も使用…40年越し大ブーム到来」「作った曲は50曲以上」
posted2026/08/11 06:00
千葉の私立高の吹奏楽部顧問が40年前につくった応援曲が、甲子園でブームになっている
text by

梅津有希子Yukiko Umetsu
photograph by
Hideki Sugiyama
スタンド全体から、メガホンで「愛してるー!」と叫ぶ応援曲を聴いたことがあるだろうか。数年前から一気に増えた、拓大紅陵のオリジナル曲「チャンス紅陵」だ。今夏も、開幕試合の仙台育英(宮城)を始め、鳥取城北(鳥取)や八王子実戦(西東京)など複数の学校が応援に取り入れるなど、一大ブームになっている。
80年代の甲子園応援は違った…
この曲は、同校吹奏楽部顧問・吹田正人氏が1986年に作った2曲目のオリジナル作品。前年に同校に赴任し、小枝守監督(当時)からの依頼で応援曲を作るようになった。現在63歳の吹田氏が40年前に作った『チャンス紅陵』が、いま全国の球場、そして甲子園で毎日のように演奏されているのだ。
野球少年だった吹田氏は、中学まで野球部でキャッチャーをしていた。千葉県の成田高校に進学すると、野球部のレベルの高さに驚き、「ここでは通用しない」と、応援する側の吹奏楽部に入部。パーカッションを担当し、現在に続く吹奏楽人生が始まった。
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『燃えろ紅陵』『狙え紅陵』『勝利のテーマ』『ノッテけ!紅陵』など、オリジナル曲にこだわり続け、40年間で作った曲は実に50曲以上にのぼる。
「野球は好きだったので、何らかの形で携わりたいと思い、応援できる吹奏楽部に入りました。当時の高校野球応援といえば、どこの学校も早稲田大学の『コンバットマーチ』や、慶應義塾大学の『ダッシュKEIO』、クロマティや中畑清など、巨人の応援歌などをやっていた時代。ご多分に漏れず我が校もそうでした」(吹田氏。以下同)
PL学園はオリジナル曲やアニメ曲などを交えた独自性のある応援をしていたが、多くの学校が同じような応援をしていた80年代。野球部の小枝監督(当時)から吹田氏に、「この曲を聴けばすぐ紅陵とわかるような応援歌を作ってほしい」と依頼があったという。

