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「江川卓のケツについてくれ!」まさかの長嶋茂雄監督の指令を受けた巨人の左腕エースの衝撃「長嶋さんの"巨人のエース"のイメージは…」
posted2026/08/06 11:07
江川トレード事件とは何だったのか。当時巨人でエース格として活躍していた新浦壽夫が江川との思い出を語った
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Kazuhito Yamada
「エースをつくらないといけないから、江川のケツについてくれ」
先発ローテーションの柱として十分な実績を残していた新浦壽夫に、長嶋茂雄監督からリリーフ指令が下ったのは1979年のことだった。
開幕投手を任された左腕が、まさかの“サポート役”へ
1979年シーズン、巨人の開幕投手を任されたのは新浦壽夫だった。前年15勝を挙げ、3年連続で二けた勝利を達成していた左腕エースだ。ここまで先発10試合で8勝2敗というペースで、エースと呼ぶにふさわしいピッチングを続けていた。
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その新浦に、長嶋監督はある日突然、驚くべき言葉をかけた。「エースをつくらないといけないから、江川のケツについてくれ」。リリーフに回れ、という指令だった。
「それを聞いた瞬間、『えっ、俺がエースじゃないのかよ』と思いましたよ」
新浦はそう振り返る。あれだけの騒動を経て入団させた江川卓を、なんとしても勝たせなければならない。長嶋監督のそうした思惑が透けて見えた。
実際、6月17日の江川のプロ3度目の先発登板では、後楽園球場のブルペンに新浦の姿があった。7回まで3安打1失点と好投した江川が鼻血でまさかの降板を強いられると、鹿取義隆に続いて新浦が最後を締め、江川がプロ初勝利を飾った。
「ウイニングボールはどうしたんだろう? 『おつかれさん』と言って江川に渡したのか……まあ、本人が『ありがとうございます』と言ってきた記憶はないなあ」
なぜ、長嶋は左腕エースではなく江川を“巨人の顔”にしようとしたのか。新浦はこう推察する。
「長嶋さんには『右の本格派こそが巨人のエース』という強いイメージがあったのかもしれない」
長嶋が入団した当時から別所毅彦、藤田元司、城之内邦雄、堀内恒夫と「右の本格派」の系譜が続いてきた。だからこそ、実績ある左腕をサポート役につけてでも、150キロの剛速球とカーブでねじ伏せる江川を勝たせようとしたのだろう。新浦は「あくまで軌道に乗るまでのお手伝い」と受け止め、腐ることなくグラウンドに立ち続けた。
新浦が語った江川との関係、そしてブルペンで起きたある出来事の真相は、本編記事にて詳しく描かれている。〈つづく〉
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