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野球クロスロードBACK NUMBER
祖父はあのPL学園“伝説の名将”、父も東北の強豪監督経験者でも…「なぜ他校へ?」佐野日大主将が選んだ“脱・サラブレッドの道”と「家族LINE」秘話
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田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)BUNGEISHUNJU、(R)Sankei Shimbun
posted2026/08/06 11:02
佐野日大の主将として甲子園に出場する中村盛汰(右)。祖父はPL学園の名将・順司だが、そのPL学園で白球を追った父・猛安の想いとは?
2年秋の新チームになると、猛安は背番号を与えられた。
平石洋介(元楽天)や上重聡ら下級生が多くメンバーに入っていたことからも、実力で勝ち取ったベンチ入りだったのは明白である。しかし、本人は「みんなはそう言ってくれますけど、僕はバントと守備くらいしかできませんでしたから」と謙遜する。
結局、猛安は甲子園に出場できず高校野球を終えた。「オヤジは自分にいろいろ苦労をかけたと思っているのかもしれないですね」と慮るが、その後の道を開いてくれたのも、父の存在があったからだった。
2010年からは「東北の名門校」の監督に
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日大に進学できたのは、野球部の監督である鈴木博識が高校時代に父の妻――つまり猛安の母と同級生だったことがきっかけである。大学卒業後に日大東北で働けるようになったのも、鈴木の恩師である小林直喜が野球部で部長を務めていたことで声がかかった。
2002年にコーチとして指導者人生をスタートさせた猛安は、10年に監督となった。
選手の個性を最大限に引き出す指導は、相手チームにとって厄介だった。福島の絶対王者と呼ばれた聖光学院が意識するライバルだったのが猛安率いる日大東北で、13年秋に県内公式戦連勝記録を「95」まで伸ばしていたチームを撃破。翌年の夏の決勝でも9回までリードし「あと一歩」まで追い詰めた。
監督として甲子園の土は踏めていないが、聖光学院の監督・斎藤智也の言葉がすべてだ。
「選手たちが荒々しくプレーしていたし、監督も何をしてくるかわからない怖さがあった。あのころの日大東北は、特に脅威だったよね」

