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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
中村敬斗の“別格すぎた”少年時代「あんなすごい子、今まで見たことがない」81歳の名伯楽が重要証言「レイソルが手放したときは“何やってんだ”って…」
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澤田将太Shota Sawada
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2026/06/20 11:15
W杯オランダ戦でゴールを決めた中村敬斗。指導者が「別格でした」と断言する、知られざる少年時代とは
小学4年生になると、中村は柏レイソルのアカデミーへと進んだ。その才能はすぐに評価され、5年生ながら“飛び級”で6年生が中心の全国大会メンバーに選ばれる。だが、出場機会は限られた。理由はプレースタイルの違いにあった。クラブの哲学としてパスワークを重視するアカデミーのなかにあって、中村は自らドリブルで相手を抜き、ゴールへ向かうことを好んだ。そして大会後、レイソルを離れる決断を下す。
レイソルのアカデミーは、Jリーグの下部組織のなかでも指折りの名門に数えられる。関東中のサッカー少年が数百人もセレクションを受け、所属できるのは1学年で十数人。その中で飛び級として扱われていたにもかかわらず、中村少年は信念を曲げなかった。
「わがままな子ではなかったですよ。素直で頭が良くて、なんの問題もない子でした。それでもレイソルをやめてしまうなんて、当時から自分を強く持っていたんでしょうね。どうせならトーアに戻ってきてほしかったですけど(笑)」
「レイソルが手放したときは『何やってんだ』って…」
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レイソルを離れた中村は、小学生最後の年を地元の少年団・高野山SSSで過ごした。トーアやレイソルアカデミーとはレベルの異なる環境だが、ここで気心の知れた仲間たちと過ごした時間が、中村にサッカーの楽しさを思い出させたことは想像に難くない。
中学生からは三菱養和SCへと入団。個を尊重する育成で知られる同クラブで自分の武器を磨いた中村は、高校2年生でガンバ大阪と契約を果たす。そして10代のうちにヨーロッパへ渡り、日本代表の主力を担うまでに成長した。
それは野寄にとって、決して意外な未来ではなかった。
「小さい頃の彼を見ていたら当たり前ですよ。レイソルが手放したって聞いたときは『何やってんだ!』って怒りました(笑)。だってあんなすごい子、後にも先にも見たことないですから」
野寄は81歳の今もグラウンドに立ち続けている。数十年にわたって子どもたちを指導するなかで、数多の原石に巡り合った。その野寄が「後にも先にも見たことがない」と言うのだから、レイソルにしてみれば、逃した魚はとてつもなく大きかった、というほかないだろう。
中村がトーアに在籍していたのは、小学3年生までの短い期間だった。なぜそれでも、野寄はその才能を「別格」と確信できたのだろうか。その裏側には、およそ半世紀にわたって育成の現場に携わってきた名伯楽ならではの理由があった。
<続く>

