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森保一監督の告白「あのときは悔しかった…」18歳で“屈辱の経験”「給料も1万円少なくて…」“超無名”高校生を変えた1人のオランダ人指導者 

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posted2026/06/20 11:03

森保一監督の告白「あのときは悔しかった…」18歳で“屈辱の経験”「給料も1万円少なくて…」“超無名”高校生を変えた1人のオランダ人指導者<Number Web> photograph by AFLO

1993年のキリンカップ。森保が日本代表になるまでには奇跡的な出会いがあった

 この出会いがなければ、森保のサッカー人生は別のものになっていたかもしれない。実際、森保が高卒で名門マツダへ進む道は、決して太い道ではなかった。その裏には、高校の恩師である下田規貴、今西和男、そしてオフトという3名との奇跡的な出会いがあったのだ。

<下田の教え子をなんとかしたいという想い、オフトの才能を見抜く目、今西のフットワークが重なり、「無名選手の日本リーグ行き」という奇跡が起きたのだった。もしあの年賀状がなかったら、森保はプロ選手になれていなかったかもしれない。

 紆余曲折を経て、森保はほぼ期待されないまま実業団に入ったのだった。つまり、無駄なプライドなど持ちようがないスタートだったのである。>

月給も1万円安く…「あのときは悔しかった」

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 森保の入団時の評価は低かった。6人の同期の中でも評価は最下位、1人だけ子会社採用になった。月給も1万円安く、「あのときは悔しかった」と振り返っている。

『逆転監督 森保一』には、こんなエピソードもある。

<同期は疑問「なんでこいつおるんやろ?」>

 この低評価もまた、森保にとってはひとつの出発点になった。オフトが持ち込んだオランダサッカーは、当時の日本ではまだ馴染みが薄かった。高い評価でマツダに入団した同期たちは、自分のスタイルとオランダ人監督の理論の間で摩擦を起こす。

 同期入団の利重忍は、当時の森保についてこう証言する。

<「僕は自分のサッカースタイルを変に持っていて、オフトさんから『三角形をつくりなさい』、『カバーリングをしなさい』と言われても『いや、俺はこうやる』と聞かなかった。オフトさんから結構怒られました。それに対して森保はオフトさんの話をしっかり聞き、言われた通りにやっていた。

 森保は特徴がなく、当初は同期から『なんでこいつおるんやろ?』と見られていました。

 走りのメニューでも森保だけついて来られなかった。歯を食いしばって『ウー』と声を絞り出して追いかけてくる姿をよく覚えています。ただ、あいつのすごいところは人から吸収してコツコツ積み上げられることなんですよ。気がついたら、同期は全員抜かれていました」>

 オフトとの出会いは、森保にオランダ流の戦術を教えただけではなかった。自分を変えること、人から学ぶこと、そして恩を忘れないこと。その原点を刻んだ。

 オランダ戦後の会見で森保監督が語った感謝は、唐突な美談ではない。17歳の無名高校生を見つけ、育て、日本サッカーの道を開いたオランダ人指導者たちへの、長い時間をかけた返礼だったのだ。

<前編から続く>

5月28日発売の書籍『逆転監督 森保一』(著:木崎伸也)。2年半以上の徹底取材と複数回の本人インタビューから、森保監督の“したたかな勝負師”としての顔に迫った一冊
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