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「くそっ…俺だってやれる」鈴木唯人は“久保建英らケガ続出”W杯日本代表を救えるか「あの時は辛抱でしか」ドイツ移籍1年目、刺さった堂安律の助言
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ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byKiichi Matsumoto
posted2026/06/21 06:01
鈴木唯人は自身にとって初となるW杯出場で、救世主となれるか
「本当に成長したいと考えるなら、フライブルクは良い環境だと思うよ」
昨夏に移籍を決断する前、日本代表のチームメイトである堂安律から、そんなアドバイスをもらった。
「同じくらいのクラブからのオファーが多かった」
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そう当時を振り返る。ただ、フライブルクで3シーズンを過ごした先輩の言葉は正しかったと、1年がたった今、鈴木は実感している。
「もし誰かにアドバイスを求められたら、自分も同じことを言うと思います。もちろん、ビッグクラブからオファーがあったらそこに挑戦しますけど、フライブルクは2年連続で、すごく熱いオファーをくれていましたし、それならここだなと」
くそっ!試合に出してくれれば…
もっとも、順風満帆な1年だったわけではない。開幕から2試合続けてスタメンに名を連ねたものの、チームは連敗した。鈴木も開幕戦で得た決定機をものにできずにいた。そこから9月の代表ウィークに入り、アメリカ遠征に参加した。代表活動を終えてチームへ戻ると、ベンチ入りメンバーからも外されてしまった。
「僕が抜けている間に、チームミーティングがあったみたいなんです。基本に立ち返ろう、強度と走力を活かしたサッカーをするために、やるべきことをしっかりやろうという話になったみたいで……」
それでも、次はチャンスが来るかと考えていたのだが、翌週の試合ではベンチ入りしたものの、試合に出るチャンスは与えられなかった。むしろ、監督からは厳しい言葉をかけられた。
「試合に出られないなら、次の日の練習でお前の価値を示すべきじゃないか?」
鈴木は内心、こう思った。
《くそっ! 試合に出してくれれば、俺だってやれるんだよ》
あの時は辛抱でしかなかった
ただ、今になってこう振り返る。
「自分のなかではやれる自信がありましたけど、監督の目には『求めているプレーを見せられていない』と映っていたんでしょうね」
結局、アメリカ遠征のあと、4試合も出番がなかった。
注目すべきは、そこでの振る舞いだ。

