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井上尚弥戦の2カ月前に急逝…中谷潤人は“おじいちゃん”の元へ駆けつけた「会いに行かなくちゃ、と」井上戦のトランクスに“ごはん”の文字…なぜ? 

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宮田有理子

宮田有理子Yuriko Miyata

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photograph byHiroaki Finito Yamaguchi

posted2026/06/04 11:00

井上尚弥戦の2カ月前に急逝…中谷潤人は“おじいちゃん”の元へ駆けつけた「会いに行かなくちゃ、と」井上戦のトランクスに“ごはん”の文字…なぜ?<Number Web> photograph by Hiroaki Finito Yamaguchi

井上尚弥を相手にプロ初黒星を喫した中谷潤人。トランクスに記されていた「コミダ」の意味とは

「施設に預けるなんてしない。最後までオレがみる。昔は毎日のようにベルトでひっぱたかれた。けど、父は腹を空かせても子どもたちに食べさせるために働いた。誰に対しても親切だった。同じゲットーに生きる人たちの安全を気にかけ、子どもたちにサッカーやボクシングを教えた。ちょっとでもお金があれば、ハンバーガーをたくさん買ってきて配るんだ」

 ロドルフォさんは強く優しい人だった。 

 1933年生まれ。大恐慌の時期、メキシコ・グアダラハラで孤児となり過酷な幼少期を生き抜き、プロのサッカー選手になった。チームの方針になじめず退団すると、あてもなくアメリカに渡った。国境近くの農場で働いた後、ロサンゼルスに移住。荒み切ったサウス・セントラル地区に根を張り、妻ヘレンと6人の子を養った。靴職人として腕は良く、8時間分の仕事を4時間で終わらせて育児に充て、時間が空けば近所の子どもたちにもサッカーやボクシングを教えた。宝物は、黒人初のロサンゼルス市長トム・ブラッドリーから直々に送られた手紙。そこには、若者たち、地域社会への地道な貢献を称える感謝の言葉が綴られていた。

急逝…中谷はアメリカへ渡った

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 やがて外出が減っていったロドルフォさんの顔を見に、中谷はたびたびエルナンデス家を訪ねた。瀟洒に改装されても、勝手知ったる第2の我が家である。

 昨年末。サウジアラビアのセバスチャン・エルナンデス(メキシコ)戦に向けた合宿中に中谷が訪問したときも、「ランチタイム!」「コミダ!」と二人は笑い合った。

 それが、二人が面会した最後の機会になった。約2ヵ月後の2月28日、グランパは突然、逝った。

 ソーシャル・メディアのポストを目にして、中谷はすぐさま長年のチームメイトであるエイドリアン・アルバラードに連絡し、確かめた。グランパが亡くなったのは本当だった。

 今年に入ってから右脚も切断していた。それでもできるだけ人の手を煩わせたくないロドルフォさんはその日、自力でベッドから車いすに移ろうとして、転落。助けを呼ぶ声に気づいた孫たちの前で、眠るように意識を失ったということだった。

 そのとき、中谷は沖縄合宿を打ち上げて東京への帰途の最中だった。弟・龍人マネージャーとともに羽田空港に着いたその足でロサンゼルスに飛んだ。取るものも取りあえず、ただおじいちゃんに会いに行った。

【次ページ】 「僕があるのも、おじいちゃんのおかげ」

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