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「この勝利をアレックスに捧げたい」3戦連続ポール・トゥ・ウィンでF1無双の19歳、アントネッリが語った母国の英雄・ザナルディへの思い
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尾張正博Masahiro Owari
photograph byMercedes-Benz Grand Prix Limited
posted2026/05/16 17:00
マイアミGPで今季3勝目を挙げたアントネッリ
91年にジョーダンからF1にデビューしたザナルディは、その後、ミナルディ、ロータスと渡り歩いた後に一旦、F1を離れる。96年にアメリカに活躍の場を移してCARTに参戦すると、97年と98年にチャンピオンに輝き、99年に再びF1に挑戦。しかし、当時のウイリアムズのマシンは戦闘力が低く、1年限りでシートを失ってCARTに戻った。
だが2001年、悲劇がザナルディを襲う。ドイツのラウジッツリンクでのレース中に両脚を切断する大事故に見舞われた。
だれもが選手生命が断たれたと思う中、一命を取り留めたザナルディは、その後もモータースポーツ活動続行を決断。事故から2年後の03年に事故のあったラウジッツリンクに赴くと、手でアクセル操作ができる特別仕様のマシンに乗り込み、事故によって走りきることができなかった残り17周を走りきった。
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ザナルディのチャレンジはまだ続いた。2000年代後半からはハンドサイクリングに転向し、07年のニューヨーク・シティ・マラソンで4位に入賞。12年にはロンドン・パラリンピック出場を果たし、2つの金メダルを獲得。さらに4年後のリオデジャネイロ・パラリンピックでも再び金メダルを獲得した。
チャンピオンへの決意
ザナルディと同じボローニャで生まれ育ったアントネッリは、ザナルディと家族ぐるみの親交があった。
「アレックスは僕の家族にとっても親しい友人だったので、彼が亡くなったと聞いて本当にショックだった」
少年だったアントネッリにとって、ザナルディはレーシングドライバーとしてだけでなく、ひとりの人間として大きなインスピレーションを与えてくれ人生の師だった。
「あの事故の後、彼がどのように復帰し、前を向いて新しい人生を築き、そして成功を収めたのか——本当に信じられない偉業だよ。諦めなければ、夢は必ず叶うことを僕は彼から学んだ。だから、この勝利をアレックスに捧げたい」
ザナルディの志を継いだアントネッリはいま、ザナルディが成し遂げられなかったイタリア人F1王者という夢へ向かいはじめている。

