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「どうしたらいいでしょうか」三笘薫が“絶対しなかった質問”とは? 恩師が驚いた“もう一つの才能”「W杯絶望か」今だから知りたい三笘薫の原点 

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小井土正亮

小井土正亮Masaaki Koido

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photograph byMike Hewitt/Getty Images

posted2026/05/15 11:02

「どうしたらいいでしょうか」三笘薫が“絶対しなかった質問”とは? 恩師が驚いた“もう一つの才能”「W杯絶望か」今だから知りたい三笘薫の原点<Number Web> photograph by Mike Hewitt/Getty Images

世界トップクラスのアタッカーに上り詰めた三笘薫(28歳)。筑波大時代の恩師が若き日の三笘を振り返った

 1つはトップチームへの昇格の打診を断ったこと。普通の高校生であれば、小さい頃から競技を続け、プロになるチャンスが目の前にあれば、そのままプロ契約をすることが最善の選択に見えます。クラブとしてもそれを望んでいるはずです。

 4年間のうちに大きな怪我をして、卒業時点ではその可能性がなくなってしまうリスクもある。下の学年にもっといい選手が入ってきて、自分の序列が下がってしまうかもしれない。そんな不安要素もありながら、あえて大学進学を選びました。

 彼なりのそのときの力量や将来的なヴィジョンなどすべてを総合的に考えての決断だったのだと思います。そして、大学を卒業したあと、彼は「この選択をしてよかった」という発言をしてくれています。私からすると、「あのときそのままプロになっていたら、『もっと』すごい選手になっていたかもしれない」と想像することがあります。

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 しかし、彼にとって大学で4年間過ごし、じっくりと自分と向き合えたことは大きな財産になっていることは確信できます。

なぜ“当時2部”だった筑波大を選んだのか?

 もう一つが、当時の1部リーグ所属の強豪大学ではなく、2部リーグを戦っていた筑波大学への進学を希望したという点です。彼は筑波大学の体育専門学群では、スポーツサイエンス(運動生理学、栄養学、トレーニング学、スポーツ心理学など)を深く学べることを理解していました。ここで学び、知識を蓄え、自身を鍛えることが、その後のキャリアに大きな力になるという確信をもっていたようです。

 サッカー選手以外でも日本のトップクラスの学生アスリートが集まり、お互いに意識し合い、切磋琢磨できる環境は、彼にとっては大いに刺激的だったのではないでしょうか。その点、プロクラブに入ってしまうとなかなか日常的に他競技のアスリート、最新のスポーツサイエンスに触れることはできません。

 現状を分析し、今後のキャリアのために、いま何が足りないのか。自分の成長に合った環境を選んだのだといえます。

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