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井上尚弥と笑顔で激闘…中谷潤人の“異様な才能”「中谷君、凄えなと」「もう顎の下に拳が」TKO直後、痛みはなかったはずが…7年前に敗れた男が証言
posted2026/05/05 17:00
井上尚弥との激闘で敗れながらも武勲を上げた中谷潤人。若き日から発揮していた異様な才能とは
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Takuya Sugiyama
“井上尚弥と笑いあった”中谷…過去に敗れた男の証言
モンスター井上尚弥に対して、0-3の判定負け。2026年5月2日、東京ドームでの歴史的一戦で、プロボクサー中谷潤人にとってキャリア初の「1敗」が刻まれた。しかし8回以降、終盤に抜群の強さを見せる井上に対して肉薄し、さらには拳を交えた井上とともにリング上で笑いあった瞬間は、日本ボクシング史に残る名シーンとしてすべての人の記憶に残るだろう。
負けてなお武勲を上げた稀代のサウスポー。そんな中谷はパウンド・フォー・パウンドに名を連ねる世界的ボクサーになるまでに、数多くのライバルを打ち砕いてきた。その1人が望月直樹である。
今から遡ること7年前の2019年2月2日、後楽園ホールで行われた日本フライ級王座決定戦。当時21歳で、17戦全勝12KOの中谷潤人と対峙した望月は、9回TKOで敗れた。
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その8カ月後に行われたWBOアジアパシフィックフライ級タイトルマッチを最後にリングを去った望月だが――その後のスーパースターを目の当たりにしたのは、じつは中谷が初めてではない。
大谷翔平の能力は「正直わからなかった」が
小学2年から野球を始め、中学では硬式チームでプレーした。気合いと根性では誰にも負けない、いわゆる「ガッツマン」だった。福島県の学法福島高から推薦の話が舞い込むと、父の反対を押し切り、四畳半の部屋で正座して泣きながら訴えた。
「甲子園に行って、プロ野球選手になって、親に楽をさせたいんだ」
学法福島での3年間、望月は最後までレギュラーになれなかった。その中で1つ、記憶に残っているのは2年時の秋季東北大会である。
花巻東の1年生・大谷翔平が公式戦に臨む姿を見つめていたのだ。ベンチから見た大谷は140km台後半の速球を連発し、打っても3安打。周囲がどよめく中、望月はぽつりと振り返る。

