ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「猪木さんには勝てません」「小林邦昭さんの歯がポキーン」佐山聡が経験した“ガチすぎるセメント”…それでも「新日本に入ってよかった」納得の理由
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堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ/アフロ
posted2026/05/06 11:00
受身の練習で佐山聡を投げる藤原喜明(1976年撮影)
1回目の入団テスト「足がガタガタに…」
玉袋 佐山さんは高校を中退して東京に出て、新日本に行くんですよね?
佐山 まずはアルバイトをしながら身体を鍛えました。そして新日本に入門希望の電話をしたらたまたま新間寿さん(当時の新日本営業本部長)が出て、後楽園ホールでテストを受けさせてもらったんですよ。足の運動(ヒンズースクワット)500回とかブリッジを3分間とかやらされて、それで足がガタガタになったところで、若手選手とスパーリングをやらされて。それが藤原喜明だったんです。
椎名 初めてでいきなり“関節技の鬼”藤原組長とやったんですか!?
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佐山 そのときは藤原さんがどんな人だかわからなかったのでボロボロにやられて。ボクもレスリングをやっていて自信があったので、「若手でもこんなに強いんだ。やっぱりプロレスって凄いな」って思って、うれしかったんですよ。
玉袋 藤原さんもまだテレビに全然出ていなくて世間的には無名だった頃だから、道場で強い人だなんて知らないわけですもんね(笑)。
佐山 足の運動500回3セットをやったあとにスパーリングをしたので、「根性がいい」みたいな感じで言われて。そのときは入門できなかったんですけど、「体重を増やしてからまたおいで」って言われたので、90キロまで増やしてまたテストを受けに行きまして。今度は足の運動とかは平気でこなせるようになっていましたから入門することができました。
椎名 入門したあとも、練習にはちゃんとついていけたんですか?
佐山 ついていけました。それよりキツいのはセメント(寝技のスパーリング)の練習ですよ。最初はグチャグチャにされて、それがだんだんと極められないようになっていって。そうすると今度は藤原喜明に勝つことが目標になっていった。
「新日本に入ってよかった」と佐山が語る理由
椎名 藤原さんっていうのはそういう存在なんですね。
佐山 だから新日本に入ってよかったと思いますよ。藤原喜明もいたし、カール・ゴッチさんもいらしたし、いつも7~8人くらいでセメントの練習をやって。そのセメントがあったからこそ、プロレスに誇りを持ち続けることができましたね。
玉袋 道場に“本物”があったわけですもんね。

