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令和の野球探訪BACK NUMBER
深夜の食堂で「バットを横に猛勉強」!? 異色の留学生選手が「野球名門校から東大合格」の衝撃「甲子園を逃した」悔しさ糧に…“究極の文武両道”秘話
posted2026/04/18 11:00
この春、東大に合格した台湾からの留学生・李玟勳。茨城の名門・明秀日立では4番を打つこともあったという
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高木遊Yu Takagi
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Yu Takagi
昨夏、甲子園にも出場した強豪・明秀日立(茨城)。そんな名門校の4番も務めた台湾人留学生選手が、この春、難関の東京大学に合格した。様々なハードルを乗り越え、なぜ彼は「究極の文武両道」を成し遂げられたのか。本人に話を聞いた。《NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む》
1919年(大正8年)に創部された東京大野球部にこの春、1人の台湾人選手が加わった。ここ2年でOBも含めて5人のドラフト指名選手を輩出した明秀日立で中軸を担った李玟勳だ。
1浪を経て、野球部のみならず同校でも創立史上初となる東大合格者となった。そんな究極の文武両道を歩む李は、さらなる壮大な夢に加え、これまでの偏見や文化をも変える可能性を秘めている。
初めて李を取材したのは高校2年の1月だ。まっすぐな目で甲子園出場と東大合格の夢を語っていた。
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会社経営者の両親のもとに3兄妹の長男として台湾で生まれた。週末に遊びでソフトボールをしていた父の影響で、自然とバットとボールを握っていた李は、小学校に入学するとすぐに野球部へ入部。家のテレビでは野球中継が映っていることが多く、日本のプロ野球やWBCを食い入るように見つめた。春と夏には甲子園大会のテレビ中継を見て、日本の高校野球に憧れた。
憧れはあの「東大卒」プロ野球選手
その中で両親から教えてもらったのが宮台康平の存在だった。
東大のエースとして活躍し、日本ハムとヤクルトで5年間プレー。昨年には司法試験に合格したことでも話題になった。こうした背景もあって、「東大に合格し東京六大学リーグで活躍すること」も李の夢の1つになっていった。後に詳述するが、台湾での少年野球は、生活が野球に偏重しがちという現状がある。学業が優秀だった李は、文武両道の環境を求めて海を渡ることを決意した。

