NumberPREMIER ExBACK NUMBER

阪神・岡田彰布が語る”4度の日本シリーズ”の思い出「オレの監督2年目は我ながら誇れる革命的な結果を残すことになったわ。JFKの誕生よ」

posted2026/04/23 17:15

 
阪神・岡田彰布が語る”4度の日本シリーズ”の思い出「オレの監督2年目は我ながら誇れる革命的な結果を残すことになったわ。JFKの誕生よ」<Number Web> photograph by Naohiro Kurashina

選手、監督として日本シリーズを経験してきた岡田彰布

text by

内匠宏幸

内匠宏幸Hiroyuki Takumi

PROFILE

photograph by

Naohiro Kurashina

 選手として1985年、監督として2023年、2度の頂点を経験した虎将が考えるチームが勝つために必要な要素とは。そして、リーグ連覇の確率は果たして――。
 発売中のNumber1141号に掲載の[レジェンド、大いに語る]岡田彰布「代打にエッ!? 日本シリーズの“屈辱”」より内容を一部抜粋してお届けします。

岡田彰布が語る「日本シリーズの思い出」

 さてさて、日本シリーズか。オレは過去、選手として1度、コーチとして1度、そして監督として2度、日本シリーズを経験している。

 初めての経験は1985年やった。吉田義男さんが監督で21年ぶりのリーグ優勝から西武とのシリーズに挑んだ。まさに打力のチームやったけど、その時は「日本一になるんや」といった気持ちではなく、選手はとにかく「打ちたい」という気持ちが強かった。掛布雅之さんもランディ・バースも、何とか打ちたい。そんな思いでの日本一やったと記憶している。

 そこから再び、長い空白……。天国から地獄を見て、タイガースは暗黒時代に入った。監督が代わっても、戦力を補強してもBクラスが指定席になった。何とかしなければと球団は思い切った策に出た。それが野村克也さん、そして星野仙一さんの監督招請やった。

ADVERTISEMENT

 野村さんでも立て直しがならず、そこで登場したのが星野さんよ。'02年シーズン、オレは二軍監督で、シーズン前に星野さんに呼ばれた。

「お前が阪神のことを一番わかっている。力になってくれ」

 翌年に一軍コーチに呼ばれ、あの'03年の優勝を経験した。'85年から18年よ。

我ながら誇れる革命的な結果「JFKの誕生」

 日本シリーズの相手は王貞治さんが率いるダイエーやった。力は拮抗し、第7戦までもつれた。このシリーズはこう呼ばれた。「内弁慶シリーズ」とね。本拠地で勝ち、ビジターで負ける。その通りの結末やったな。7戦目は福岡での決戦で最後に力尽きた。実はその最中、星野さんの体調が悪化し、ベンチに「退任」の空気が広まっていたのよ。実際にシリーズが終わった直後やった。星野さんから「オレは監督を辞める。次はお前や。すでに決まっているから」と告げられた。日本シリーズの敗退以上に衝撃の結末やった……と今も強烈に思い出に残る'03年やった。

 日本シリーズは最大7試合(引き分けがあれば8試合以上も)。いわゆる短期決戦だが、それでも「流れ」が一瞬で決まることがある。それを痛感したのが'05年だった。野村さんがヤクルト監督だった時のように前年4位から優勝したシーズン。オレの監督2年目は我ながら誇れる革命的な結果を残すことになったわ。それが「JFK」の誕生よ。

 ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之のリリーフ陣を構築し、1点でもリードして6回を終えれば、確実に逃げ切れた。相手を完全に封じたブルペンの勝利やったな。

 ロッテとの日本シリーズ。そら自信満々やった。負けるはずがない。メディアの予想も阪神絶対有利。いま明かすけど日本一のV旅行の行先まで話し合っていたもんね。

 ところが10月22日の第1戦。それも1回表の攻撃で「これはヤバい」と感じたわ。

【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内《独占告白》岡田彰布が語る日本シリーズ2度の“屈辱”と2023年の“歓喜”「これはヤバい、と感じたわ」「ベンチに“退任”の空気が広まっていたのよ」で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。

Number1141号「阪神タイガース 日本一の系譜。」*書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプしますNumber1141号「阪神タイガース 日本一の系譜。」*書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

関連記事

#岡田彰布
#阪神タイガース
#吉田義男
#星野仙一
#掛布雅之
#ランディ・バース
#ジェフ・ウィリアムス
#藤川球児
#久保田智之

プロ野球の前後の記事

ページトップ