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青学大3年生のTリーガーが生まれるまで「小学2年生からカットマンです」なぜ少数派の戦型を選んだ? 小林りんごを強くした「卓球に縛られすぎない」生き方
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松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byHirofumi Kamaya
posted2026/03/02 11:02
青学大3年生で、Tリーグでも活躍するカットマン・小林りんごのインタビュー【第1回】
「最初の頃は攻撃とカット、半分半分」
しかしカットマンとして活躍する選手に聞くと、はじめは守備的な練習に重きを置くことが苦しかったという声もしばしばある。小林は「最初の頃は攻撃とカット、半分半分くらいでした」と言う。しかし大会でも結果が出始めると、カットマンとしてのやりがいを感じた。
「カット打ちの練習をあんまりしてない人も多くて、小学生ではある程度のレベルになるまでは勝ちやすいというか、自分には合ってるのかもしれないなと思いました」
苦しさを、成績が伸びる楽しさが上回っていた。小学6年生のときには全日本選手権のジュニアの部に出場するまでになっていた。
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実績を築いた小林は、小学校を卒業すると一人、大阪へと移る。名門、ミキハウスJSCに加入したのだ。日本代表をはじめ数多くの選手が育ってきた強豪だ。ただ小林は、中学時代、ミキハウスをやめて郷里に舞い戻ることになった。
「すごく強くなれる環境ではあるんですけど、人数が多かったり、周りのレベルが高すぎたり……。最初から強い選手にはすごく良い環境だなと思ったんですけど、環境が良すぎるゆえに、弱い選手は練習ができなかったりというのがあって。それなら、もっといい環境がみつかるまで、地元でいいかなと」
「卓球に縛られすぎない。だから頑張れた」
求めていた環境は中学3年生のときに訪れる。愛知県の桜丘高校だった。オリンピックに4度出場、日本初のプロ選手となった松下浩二などを輩出した学校だ。
「私が入学する前の先輩にカットマンで強い選手がいらっしゃって、カットマンを教えられるということ。高校だけの学校だったので人数がそれほど多くなかったこと。中学もあるところだと、同じ練習場を使うとけっこうな人数になるんですけど、高校だけ、しかも人数はそんなに多くないからレギュラーにもなれるというレベル。環境とかレベルは高いけど、自分でも輝ける場所と言いますか、選んだ点としてはそういったところが大きかったかな」
いざ入学して印象に残ったのは、「練習時間がそれまでの倍以上になったこと、そして質」。
「平日だったら授業が終わって午後4時過ぎから7時くらいまで。その後自主練習する人もいました。土日は朝8時くらいに集合して、お昼休憩を挟んで午後5時過ぎまでという感じでした」


