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宮本慎也入部で「お前はセカンドに…」名門復活担う西武・奥村剛球団社長の知られざる球歴「今年で終わりにする」“2年連続”廃部も目の当たりに
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byShiro Miyake
posted2026/02/05 11:15
埼玉西武ライオンズの奥村剛社長。熊本工、明大、プリンスホテルと歩んだ球歴は華やかだ
名手・宮本慎也と組んだ二遊間
――社会人野球の名門・プリンスホテルに進まれた後は、後にヤクルト入りする宮本慎也さんとの出会いもありました。
奥村社長 当時は私がショートを守っていたんです。宮本さんは3歳下にあたるのですが、彼が入部してキャンプに参加した瞬間に、監督から「奥村、お前はセカンド行ってくれ」と言われました。
――その時は何で自分がコンバートなんだ! という悔しさもあったんですか?
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奥村社長 当時私はキャプテンをしていましたし、それを言われてから数日は何でだ、という思いもあったと思います。でも宮本さんの守備練習を見たら、やはり彼がショートを守るべきだとはっきり悟りましたね。それくらい守備に関してはズバ抜けていました。当時の社会人野球は金属バットを使っていたので打球が凄く速いんですが、宮本さんはどんな難しい打球も難なくさばく。特にスローイングは完璧で、一番捕りやすいところに絶妙なスピードで投げてくるんです。あれには驚きました。
10年連続で都市対抗に出場
――守備の名手と言われ、後に名球界入りも果たす選手と二遊間を組んだというのは貴重な経験ですね。
奥村社長 宮本さんが2年後にプロ入りした後、私はまたショートに戻ったのですが、彼と一緒にプレーしたおかげで私の守備も上達していました。今でも宮本さんに会うと冗談で「僕が来た2年間、セカンドに回ってもらってすみませんでした」、「心にもないことを言うね」なんてやりとりをするんですよ。彼の姿にはいい刺激をいただいていましたし、野球人として尊敬しています。
――入部した1990年から1999年まで10年連続で都市対抗に出場されました。
奥村社長 社会人野球で都市対抗の予選は首を取るか取られるかというような熱い戦いです。私はプリンスホテルが優勝した翌年に入社したので、1年目から推薦で出場することができました。そこからはチームが勝ち続けたり、補強選手に選ばれたりと、連続で出場させていただき、本当に恵まれていたと思います。

