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宮本慎也入部で「お前はセカンドに…」名門復活担う西武・奥村剛球団社長の知られざる球歴「今年で終わりにする」“2年連続”廃部も目の当たりに
posted2026/02/05 11:15
埼玉西武ライオンズの奥村剛社長。熊本工、明大、プリンスホテルと歩んだ球歴は華やかだ
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Shiro Miyake
◆◆◆
実は、NPB12球団の社長の中で、最もハイレベルな「野球経験者」である。
高校時代は古豪・熊本工業高校で内野手として活躍。後に巨人入りしてスター選手となる1学年下の緒方耕一さんと三遊間を組み、2年夏は熊本大会決勝に進出した。明治大学に進んでからは六大学野球で活躍。社会人野球のプリンスホテルでは、名球界入りした宮本慎也さん(元ヤクルト)と2年間二遊間を組み、自身は都市対抗野球に10年連続で出場するなど、その球歴は実に華やかだ。
「徹底的に厳しく」鍛えられた心身
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――熊本工業、明大といずれも強豪、特に厳しいと言われるチームでプレーされました。
奥村社長 当時の私は、こと野球に関しては、厳しいところでやるのが当たり前という感覚を持っていました。甲子園に憧れて入った熊本工業は県内のいい選手がたくさん集まってきて、入学当時は同学年に100人近い部員がいたほどです。厳しい練習に耐えられなくてポロポロとやめていくんですけど、そんな中で何とか歯を食いしばってやっていましたね。大学でもやるからには徹底的に厳しい環境で、と明大を受験しましたが、いざ入ってみると、これは想像以上に大変だぞ、と感じましたね。
――当時の明大は「御大」と呼ばれた故・島岡吉郎さんが監督をつとめていました。教え子であるあの星野仙一さんも泣いたと言われる厳しい指導は有名でしたが、当時は何が一番辛かったですか?
奥村社長 やはり上下関係ですかね。あとは練習時間も非常に長かったので、そういう意味では苦労しました。島岡さんはよく「人間力」とおっしゃっていましたが、学生時代の私は何が人間力か分からないまま気合と根性だけでやっていました(笑)。一番良かったのは、北海道から沖縄までいろいろな地域から集まってきた仲間と出会えたことです。下級生の時は本当に大変でしたけど、神宮でプレーすることもできて希望や夢が自分の近いところにあるな、と感じていました。今振り返ると非常に楽しかったです。

