甲子園の風BACK NUMBER

45年前「あの200勝投手」にノーノーを喫して以来の甲子園出場なるか? 21世紀枠候補の公立進学校・長崎西高が立ち向かう「歴史的敗戦」の記憶

posted2026/01/28 06:03

 
45年前「あの200勝投手」にノーノーを喫して以来の甲子園出場なるか? 21世紀枠候補の公立進学校・長崎西高が立ち向かう「歴史的敗戦」の記憶<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

甲子園に通算4回出場している長崎西高だが、今のところ最後に出場した1981年夏には名電高の工藤公康にノーヒットノーランを許してしまった

text by

内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

PROFILE

photograph by

Sankei Shimbun

 21世紀枠推薦校に選出され、45年ぶりの甲子園出場をめざす県立の進学校、長崎西高。今もついてまわる、前回1981年の出場での苦い記憶を払拭するために奮闘する野球部を、現地に訪ねた。〈全2回の2回目/はじめから読む

 1981年8月13日。この日は、30年ぶりの甲子園を戦う長崎西高にとって、忘れたくても忘れられない夏の記憶となった。初戦となった2回戦で、名古屋電気(現・愛工大名電)の工藤公康が立ちはだかったのである。

 のちにプロ野球で224勝を挙げることになる左腕の、縦に鋭く割れるカーブは高校生離れしていた。バットは空を切り続け、終わってみれば16三振。そして、スコアボードに最後まで安打がカウントされることはなかった。

あのノーノー以来、甲子園から遠ざかる

「カーブをくりんくりん振ってくれて、それで三振を多く取れました」

ADVERTISEMENT

 工藤が試合後に残したコメントだ。大会史上18人目(金属バット採用後では初)のノーヒットノーランで0対4の完敗だった。あの夏から45年、甲子園から遠ざかってきた長崎西は、折に触れ、この「歴史的敗戦」と向き合ってきた。

 現チームを率いる宗田(そうだ)将平監督は佐世保西高の出身。長崎西のOBではないが、「やはりノーヒットノーランがどうしてもついて回ります」と胸の内を語る。

「私たちが九州大会のような上位大会に出ると、マスコミの方が必ずノーヒットノーランの話をされます。昨秋の長崎大会では準優勝しましたが、チーム打率は.207と貧打でした。どうしてもノーヒットノーランが頭をよぎるんです」

あえて「ノーノーで負けたらどうする?」

 47季ぶりの出場となった昨秋の九州大会。初戦は佐賀1位の唐津商と激突した。あと2勝してベスト4入りすれば、センバツ出場が当確となる。緊張するなという方が難しいかもしれない。そこで、宗田監督はあえて、「ノーヒットノーランで負けたらどうする?」と、あの敗戦を意識させる言葉を投げかけた。

【次ページ】 21世紀枠の推薦校に選出

1 2 3 NEXT
#長崎西高校
#工藤公康
#愛工大名電高校

高校野球の前後の記事

ページトップ