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「それじゃあダメだぞ」宮浦健人に染みつく“鎮西高校での3年間”…11月に急逝した畑野監督「常に謙虚でいることが大事だ」いまも心に刻む恩師の教え
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米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byJVA/AFLO SPORT
posted2026/01/06 06:00
今季からウルフドッグス名古屋でプレーする宮浦健人(左)。12月の天皇杯では優勝に貢献し、MVPを受賞した
日本代表でもそうだ。昨年は西田有志(大阪ブルテオン)が代表に参加しなかったため、代表の全試合で宮浦が先発し、重責を背負い続けた。
日本代表の伊藤健士コーチは、「絶対に疲れはあったと思いますが、彼は真面目で、全体練習や試合以外にも、朝自分でトレーニングをしたり、人が見えないところで努力をする選手。それに一切不平不満を言わない」とその姿勢を讃えていた。
原点は鎮西高校で過ごした3年間
2024年までは西田が先発し、宮浦は控えに回ることが多かったが、アップゾーンでは常に何かトレーニングをしながら準備を整え、コートに入ると必ず期待に応えてチームを救った。その姿を海外の選手も「サムライ」とリスペクトし、ファンになるほどだ。
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学生時代は常にチームのエースとして試合に出続けていた選手が、控えの立場になっても後ろ向きにならず、常に前向きに、今できることに100%の力を注ぐ。以前、なぜそんなことができるのかと宮浦に聞くと、「鎮西高校時代がベースになっています」と答えた。
「鎮西時代に、常に自分に矢印を向けられるようになったんです。鎮西ってエースのバレーをするんですけど、その中ですごく“責任”というものを感じるようになって。自分のプレーがダメで負けたりした時に、『もっともっと成長しないといけない』と考える。そのサイクルを繰り返したことが、今のメンタリティに繋がったと思います」
宮浦が高校に入学した時から“エース”になるべき人間として目をかけ、育てたのが、昨年11月に急逝した畑野久雄監督だった。
「畑野先生から教わったことは、ずっと胸の中にあって、自分の土台になっています」
一番心に残っている畑野監督の言葉を聞かれると、こう答えた。


