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プロ野球PRESSBACK NUMBER
福本豊の証言「相手は初優勝でしょ? 負ける気せんかった」広岡達朗のヤクルトはなぜ絶対王者・阪急に勝てたのか? 弱気だった若松勉「0勝4敗もある」
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2025/12/11 12:00
1978年日本シリーズ開幕前日の10月13日、川上哲治と言葉をかわすヤクルト監督の広岡達朗
「だから、ヤクルトが対戦相手に決まったときも、負ける気はせんかったね。相手は初優勝でしょ? こっちはすでに何度もシリーズを経験している。完全に見下ろしとる。カープのときもそうだったけど、日本シリーズという気がせんでオープン戦みたいな気楽さがあった。ペナントレースを見ていても、“めっちゃ強いな”という感じはせんかったから。もしもジャイアンツがシリーズに出てきたら、やっぱり長嶋さんのオーラがあるけど、ヤクルトにはそれがなかった。だから、まったく負ける気がせんかった」
圧倒的な自信に裏づけられた発言だった。自分たちの強さに対して、微塵も迷いや揺らぎがなかった。当時のブレーブスには、それだけの絶対的な実力があった。
「だって僕らは1年に1回あるかないか、そんなプレーの練習までしていましたから。例えば、ランナー一塁、二塁の場面で浅いセンターフライが上がったとします。センターを守っている僕は打球に向かって前進する。捕れるんですよ、ホンマやったら。でも、ギリギリまでわざと捕らない。前で落として、すぐにセカンドに送球して一つアウトを取る。そのままサードに投げて二つ目のアウトを取る。そんな練習までしていましたから」
「投打ともに盤石」圧倒的だった阪急の実力
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1978年のブレーブスは本当に強かった。当時、前後期制だったパ・リーグにおいて、前期は独走で優勝。後期は近鉄バファローズを競り落として完全優勝を決めた。これによって、かつて黄金時代を築いた西鉄ライオンズ、南海ホークスも成し得なかったリーグ4連覇を実現した。まさに盤石の、圧倒的な強さを誇っていた。
打撃10傑には福本豊、ボビー・マルカーノ、簑田浩二、高井保弘が入り、さらに加藤秀司、バーニー・ウイリアムス、島谷金二ら、チーム打率.283を誇る強力打線を有していた。投手陣は18勝をマークした大エースの山田久志を筆頭に、この年の8月31日に完全試合を達成した今井雄太郎、佐藤義則、抑えの山口高志がいずれも13勝、稲葉光雄が10勝と二桁勝利投手が五人もそろっていた。
さらに、監督就任5年目を迎え、「知将」「頭脳派」と呼ばれた上田利治監督の緻密な野球はすでにチームに浸透しており、それが自信の裏づけとなっていた。福本は続ける。
「そこまで意識の高い練習をしているから、逆の立場で物事を考えられるようになるんです。つまり、自分たちが守っているときのサインプレーは、攻撃のときの警戒として利用できるわけです。あるいは、自分たちの攻撃の際のサインは、守っているときのシミュレーションにもなる。あの頃の阪急の選手たちは、みんなそんなことを考えながらプレーしていましたから」

