バレーボールPRESSBACK NUMBER
息子は仙台育英エース、ドラフト会議も現地で…元祖“世界一のリベロ”津雲博子(55歳)の今「野球にどハマり」「仙台にアパートまで借りちゃった」
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph by(L)Jun Tsukida/AFLO SPORT(R)JIJI PRESS
posted2025/12/12 11:05
仙台育英高校エースとして活躍した吉川陽大(右)。元バレーボール日本代表の母がここまでの歩みとドラフト会議当日の様子を振り返った
今でこそリベロの認知は高いが、当時は観客からの不思議な視線を感じていた。
「お母さん、あの人ユニフォーム忘れちゃったのかな?」
九州で日本代表の招待試合に出場した時、スタンド席にいた小さな女の子の声が耳に届いた。
ADVERTISEMENT
「いやいや忘れてないよ、って(笑)。リベロだけユニフォームが違うことも浸透していなかった。でも当時、じつはコートにいる私たちもバタバタで、交代がうまくいかないことも多かったです。コートに7人いたこともありましたから」
日本代表に名を連ねるようになったことで、自然と目標は五輪出場に向いた。国際大会での経験も重ね、6位入賞を果たした1999年ワールドカップではベストレシーバーとベストサーブレシーバーと2つの個人賞を受賞。前年、世界選手権で銀メダルを獲得していた強豪・中国に勝利したことも相まって、日本代表にはシドニー五輪でのメダル獲得の機運が高まっていった。
それなのに――。
「あれは本当に申し訳なかった。今でもその思いしかないです。あの負けだけは、今でもなかなか消えないですね」
バレーボール日本代表の「リベロ」として初めて五輪のコートに立つ。津雲の夢は、儚く消えた。〈第2回に続く〉

