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大相撲の「八百長」って何だ!? ~Number創刊年に載ったコラムを再発表!~ 

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設楽敦生

設楽敦生Atsuo Shitara

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posted2011/02/11 08:00

大相撲の「八百長」って何だ!? ~Number創刊年に載ったコラムを再発表!~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

相撲協会には八百長の存在を証明する機関がある!?

 エ! そんなバカな、と思われるムキには、相撲協会に競技監察委員会という組織があるのを知ってもらいたい。この委員会は、昭和47年に、八百長をふくめての相撲協会の問題点がマスコミにとりあげられ、衆議院文教委員会で問題にされたとき、協会がその対策のために作ったものである。

 設立目的はこうなっている。

「故意による無気力相撲を防止し、監察するため」

 そして、その委員会が設けた「故意による無気力相撲懲罰規定」の第6条によると、

「故意に無気力相撲をした力士に対する懲罰は、除名、引退勧告、出場停止、減俸、けん責とする」

 となっている。

 かつて(昭和32年4月)、近代相撲の中興の祖といわれる武蔵川理事(当時)が、国会に参考人として呼ばれたことがある。そのときも相撲協会のあり方が国会で問題になったためである。そのとき、弁舌のサエでは古今を通じて角界ナンバーワンといわれた同理事は、

「天下の力士は、八百長はしない!」

 と大見得を切ったものである。

 ところが、「八百長をしない」はずの力士に対して、それを防止するためのお目付機関である“監察委員会”を作るというのも、考えてみれば、じつにおかしな論理的矛盾ではないか。せいぜい、いまは「ない」が、将来は「あるかもしれない」事態を考えて、予防措置的に設けた、と考えるしかない。

 ちなみに、この監察委員会は過去に一度だけ“作動”したことがある。

 47年春場所12日目、琴桜対前の山の一番を“無気力相撲”として両力士に“注意”したのである。

 この“無気力相撲”という言葉は、よく考えてみればみるほど、相撲の世界のある一部の雰囲気をよく伝えていて、むしろユーモアさえ感じられる。

 当「ナンバー」の編集部のスタッフは、かつて元幕内力士から、いわゆる八百長に関する手口、方法、だれがどういうふうにやったか等々の告白を聞いたことがある。

 と、こういうふうに書くと、たちまちなぜそれを報道しなかったのか、相撲協会の圧力か、エ、それともナニか、右翼にでも脅されたのか、エ、どうなんだ、とマナジリ決してセマられるだろう。

「故意による無気力相撲はあり得ない」と元幕内力士。

 だが、ちょっと待ってもらいたい。決して協会に圧力(どんなふうにやってくるのか想像しにくいが)をかけられたのでも、また、しばしばワンパターンで片づけられる、右翼に脅されたのでもない。(“ウヨクがウゴいてモミ消した”というのは、昔からよくマスコミの世界でわからない問題を手っとりばやくおたがい納得させる、安易な結論になりつつある)

 ではなぜ報道しなかったか、というのは、取材がもうひとつ満足できなかった、という事情もさることながら、大きな理由は、相撲の世界を知れば知るほどいわゆる“八百長”に対する考え方が変ってきたためである。はたしてマナジリを決して、糾弾すべき問題か、と考えたからである。なぜそう考えるか。それがこのテーマの本筋なので、この稿を、終りまで読んで理解していただければ幸いである。

 それはともかく、くだんの元幕内力士の話だが、話題が“無気力相撲”にふれたとき、じつにおかしくてたまらぬ、といった表情でこういう意味のことをいっていた。

「注射(注・“八百長”の角界での隠語。これも現在では、名称が変ってきて、“お医者さん”とか“病院が好きな人”とか言っているようだ)をうったとき(注・つまり八百長を頼んだとき)、うたれたときの一番というのは、かたくなってコチンコチンなんですよ。バレるとまずいから両方とも関係ないところで、一生懸命力を入れてる。むずかしいんですよ、注射相撲というのは。だから、そういう意昧でいうと、決して“無気力”なんかで注射の相撲はとれないんです」

 であるから、この人の説明によると、注射相撲は決して“故意による無気力相撲”ではなく、むしろ、“故意による気力相撲”なんだそうな。

“故意による気力相撲”がどれほどむずかしいか。

 つまり、この論法でいくと、「監察委員会」が取締る“故意による無気力相撲”に注射、いわゆる八百長は該当しなくなるのではないか、ということだ。

 もしも、もしもだが、相撲協会がそこまで考えて、この項目を作ったとしたら、相撲協会というのは大変な知恵者で、ユーモア精神の持主の集まりではないか。

 決して、“大男、総身に知恵がまわりかね”どころではない。

 蛇足ながら、“故意による気力相撲”がいかに力強く見せるため、むずかしいか。その元幕内力士によると、「こっちが注射うたれてた取組みだったんですけど、熱中しているあまり相手を投げた。もちろん先に手をついてて投げたんですけど、行司がそれを見てなくて、こちらに軍配をあげてしまった。さいわい(?)物言いがついて、あとでチャンと負けたからいいですけど、そうでなかったらえらいことですよ。あとでみんなにうまいって、ほめられましたけど……」

 こうなると、まさに“演技”である。

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