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女子ビーチバレー“本当にあった偏見”「妊娠する」「チャラチャラしてるスポーツ」全日本エースから転向した佐伯美香は、世間の目をどう変えたのか?

posted2025/09/12 11:03

 
女子ビーチバレー“本当にあった偏見”「妊娠する」「チャラチャラしてるスポーツ」全日本エースから転向した佐伯美香は、世間の目をどう変えたのか?<Number Web> photograph by L)Getty Images、R)NumberWeb

全日本のエースとして活躍後、ビーチバレーでも2度の五輪に出場した佐伯美香

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NumberWeb編集部

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L)Getty Images、R)NumberWeb

女子バレー全日本のエースとして活躍し、ビーチバレー界のパイオニアとなった佐伯美香さん(53歳)。その挑戦の過程を聞いたインタビューの短縮版をお届けする。

◆◆◆

 1996年のアトランタ五輪後、女子バレーボール日本代表の佐伯美香がビーチバレーへの転向を発表した時、世間の反応は冷ややかだった。

「当時はビーチバレーにいったら妊娠する、と言われていた時代でしたから。それくらい、チャラチャラしているというイメージがあったし、スイカのボールでやるスポーツですか?と。それほどビーチバレーが世の中に知られていなかった」

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 佐伯は当時をそう振り返る。

 熱視線を注いできた世間から冷たい視線を向けられ、所属チームからも大反対された。しかし佐伯は、アルバイトをしてでもビーチバレーをしようと決めていた。

「アトランタ五輪は惨敗でした。その時、もう一回、オリンピックに行きたいと思ったんです。次はビーチバレーでオリンピックに行って勝ちたいと。やっぱり負けず嫌いなんですよね」

シドニー五輪で示した答え

 1997年、国内初のプロビーチバレーチーム『ダイキヒメッツ』に入団した佐伯は、戦闘服を水着に変えて新たな挑戦を始めた。「最初は、お腹を出すことに抵抗はありました」と語るように、環境の変化は大きかった。砂や風という自然環境に苦戦し、「本気で辞めたいと思った」瞬間もあった。

 転機となったのは、ブラジル人コーチのアントニオ・フェルナンド・T・レオン監督との出会いだった。基本技術を徹底する練習で実力を向上させた佐伯は、高橋有紀子とのペアでシドニー五輪を目指した。そして迎えた本番、佐伯と高橋は日本のビーチバレー史を大きく変える結果を残すことになる――。世間の偏見と戦った佐伯の挑戦は、本編でさらに詳しく描かれている。

〈続く〉

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 この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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