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「いまが、めちゃくちゃ楽しいです」オリックス→中日、プロ野球で9年戦った三菱重工East・武田健吾が語る都市対抗野球の魅力
posted2025/08/28 10:00
三菱重工Eastで4年目を迎えた武田。選手としてまだ成長過程にある
text by

日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Yuki Suenaga
炎天下での撮影中、汗でしとどになりながら武田健吾は嫌な顔ひとつ見せなかった。「全然、大丈夫です!」と白い歯を見せる31歳は、まさに好青年といった風情だ。
オリックス・バファローズと中日ドラゴンズの2球団で、’21年までの9年間、プロ野球選手として戦った。突然の戦力外通告を受けたのちにやって来たのが、横浜市金沢区に本拠地を置く社会人チーム「三菱重工East硬式野球部」だった。
それまで社会人野球とは無縁の球歴で「大会の仕組みも最初は分かっていなかった」という武田だが、1年目からその醍醐味を味わうことになる。都市対抗野球の西関東予選で敗退し、悔し涙を流したかと思えば、補強選手としてENEOSに招かれ、初の大舞台でいきなり頂点まで駆け上がった。2年目は三菱重工Eastとして6年ぶりとなる都市対抗ベスト8進出。さらに3年目の昨年は、14度目の本戦出場にして初の優勝をつかみ取った。
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打線の主軸、そして外野守備の要となる中堅手としてチームの躍進を支えてきた武田は、笑顔で語る。
「いまは、めちゃくちゃ楽しいですね。次の試合で取り返せるプロと違って、社会人の大会は負けたら終わり。その緊張感を、僕は楽しみながらやれています」
プロ時代の成績は、決して輝かしくはない。高卒で入団したバファローズでの5年目(’17年)に出場97試合、打率.295と飛躍のきっかけをつかんだかに見えたが、その後も課題の打撃でなかなかアピールできなかった。プロの野手にとって、打つことは文字通り生命線。模索を続けた日々の記憶を、こう振り返る。
「いろいろ試して、でも結果が出なくて、また落ち込んで。本当に悔しくて、よくベンチ裏で泣いたりしてました。活躍できなければ職を失うシビアな世界。やっぱり、苦しいことのほうが多かったですね」
ドラゴンズから来季構想外だと告げられたとき、もう野球はやめようと考えた。気持ちはすり減りきっていた。
しばらく休んで、武田の心に小さな芽が顔を出す。「最後は楽しく野球をやって終わりたい」。真っ先に連絡をくれた三菱重工Eastにオファー受諾の返事をした。
「プロのときも都市対抗の時期はロッカールームのテレビでみんなで見ていました。プロの試合とはまた違った応援があって、楽しそうだなって。そんな世界でもう一回、頑張ってみようと決めました」
プロ時代を上回る長打力を獲得
社会人野球の魅力を肌で知るのに時間はかからなかった。多くの大会で採用されるトーナメント方式が武田の心に熱を呼び戻し、企業の看板を背負って戦うチームメイトの覚悟に触れて、一戦必勝への思いはなお高まった。そうでなければ、チームに合流してわずか半年後の都市対抗予選で、負けて悔し泣きなどできなかったはずだ。

