オリンピックへの道BACK NUMBER
44歳で死去、小原日登美さん“本当の評価”「女子レスリングの歴史が変わった」栄和人氏「どう言えばいいか…」金メダリストの“知られざる壮絶人生”
text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/20 17:01

ロンドン五輪で悲願の金メダルを獲得した際の小原日登美さん
「ひきこもり」と評した時期を乗り越えて
結論が出たのは、09年12月のこと。
「そのときの全日本選手権で妹は優勝しましたが、内容を見ていて限界かなと感じたんです。そのとき、自分がかわりにやろうと腹をくくりました」
現役復帰を表明すると、今度は妹のいなくなった48kg級で戦うことを決めた。3カ月余りで8kg減量して体を整えると、2010年5月、全日本選抜選手権で優勝。同年と2011年の世界選手権48kg級を連覇して世界のトップレベルであることをあらためて証明する。
ADVERTISEMENT
2011年12月、全日本選手権も圧勝し、ロンドン五輪代表に選ばれ、ついにオリンピックへの切符をつかんだ。
「ひきこもり」と表す、自分を見失った時期。2度かなわなかった大舞台への出場。引退と復帰。選手生活にピリオドが打たれていてもおかしくない状態を何度も乗り越えてきた。
ロンドン五輪決勝はそれを象徴するような試合だった。第1ピリオド、相手のペースに陥り、0-4で失った。このまま敗れるのではないか、頂点には届かないか……そんな不安を抱かせる内容だった。でもそのままでは終わらなかった。立て直すと、第2、第3ピリオドを連取。瀬戸際まで追い込まれながら、逆転し、31歳にしてついに金メダルをつかんだのである。
小原さんが見せ続けた「逆転劇」
折々に、印象的な言葉があった。
「どうしてもオリンピックで勝ちたい」という思いとともにロンドン五輪に臨んでいたと言う。
「妹、両親、旦那、コーチや支えてくれる人たち、いろいろな人の力あっての自分なんです。だからオリンピックで優勝して感謝を示したいというのが正直な気持ちです。自分がやさしいとかそういうことではなく、選手はみんなそうなんじゃないですか。自分はマットで自身を表現できるけれど、支えてくれた人たちは自分が勝たないと報われない。みんなを笑顔にするのが自分の成し遂げたいことです。そのためにはどれだけ苦しんでもいいんです」
何度も味わった挫折についてはこう捉えていた。
「オリンピックに出られない時期はいろいろ心に抱えてしまうこともありました。でも、この先の人生にとっても、いい経験だったと思うんです」
スポーツの醍醐味とは、「逆転劇」だと言われることがある。その観点に立てば、小原は大逆転劇を何度も何度も、自身の人生で演じてみせた人でもあった。
いつ話を聞きに行っても穏やかなたたずまいの一方で、折れそうで折れなかった強靭な心とともに努力を積み重ねながら、スポーツの醍醐味や魅力を示し続けた。そんなアスリートであった。

