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44歳で死去、小原日登美さん“本当の評価”「女子レスリングの歴史が変わった」栄和人氏「どう言えばいいか…」金メダリストの“知られざる壮絶人生”
posted2025/07/20 17:01

ロンドン五輪で悲願の金メダルを獲得した際の小原日登美さん
text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
JIJI PRESS
2012年ロンドン五輪レスリング女子48kg級で金メダルを獲得した小原日登美が7月18日に死去したことが19日に伝えられた。44歳だった。
ロンドン五輪後に引退し、自衛隊体育学校のコーチとして指導者の道に。今年1月には伊調馨とともに代表コーチに就任、ロサンゼルス五輪へ向けてスタートを切っていたところだった。死去に関して詳細は明かされていない。死去した事実が残る。
それでも現役時代に残した記憶は消えることはない。
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ロンドンでの五輪金メダル。世界選手権計8度優勝という成績もさることながら、振り返れば、不屈の精神とともに金メダリストという肩書におさまらない、稀有のアスリートとも表すべき足跡を描いてきた。
「彼女の登場で女子レスリングの歴史が変わった」
小原(旧姓坂本)は早くから将来を嘱望されている選手だった。19歳で初めて出場した2000年の世界選手権で優勝し、同年、国際レスリング連盟の女子ベスト選手にも選出。優勝はもちろんのこと、それまでの女子の選手にはない、お手本とも教科書とも言われる正確な技術が周囲に衝撃を与えた。
「彼女の登場で女子レスリングの歴史が変わった」
そう評する関係者もいたほどだった。
ただ、その後は順風満帆と言うにはほど遠かった。挫折の連続だった。
2001年、レスリングが2004年のアテネ五輪で採用されることが決まった。だが小原は左膝が思わしくなく、手術で一時戦列を離れざるを得ない状態にあった。
それでも大舞台を目指そうとしたが、大きな問題があった。小原の階級である51kg級は採用されなかったことだ。そのため、一つ下の48kg級あるいは一つ上の55kg級のいずれかの五輪実施階級に変更せざるを得なかったが、48kg級には同じくオリンピックを目指す妹の坂本真喜子がいた。妹と代表争いをするのは受け入れがたかった。結果、55kg級を選択したが、そこには吉田沙保里がいた。小原が屈指の選手なら、吉田もまた、図抜けた存在として頭角を現しつつあった。