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藤井聡太vs永瀬拓矢「千日手」は再び起こるのか…じつは羽生善治vs谷川浩司の“七冠阻止”大一番でも発生、「将棋のガン」と評した棋士とは
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph by日本将棋連盟
posted2025/07/05 06:00
名人戦第5局、千日手成立時の両対局者
大盤解説会にそれが伝わると、千日手の意味を知らず「どちらが勝ったんですか」と聞く人も。そこからの指し直し局で谷川が勝ち、羽生の七冠を阻止した。
江戸時代初期の二世名人・大橋宗古の著書には、二歩、打ち歩詰め、千日手などの禁手が図面入りで解説されている。それが基本ルールとして現代に至っている。
千日手の語源は、千日たっても勝負がつかないという意味。千遍手、百日手と呼ばれたこともあった。チェス、シャンティー、マークルックなど海外のボードゲームにも、将棋の千日手に類する規定がある。チェスのその用語の和訳は「同形三復」 だという。
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大橋宗古は「同一手順が三度目は、仕掛けた方が指し変えるべき」と定めた。
“伝説の棋士”による一局で規定変更
それで有名なエピソードは、明治時代後期に関根金次郎八段と伝説の棋士・阪田三吉が対戦した将棋だ。
終盤で阪田が金銀を打って攻めると、関根も金銀を打って受け、同一手順が続いた。観戦した関係者に「攻めている方が指し手を変えるべきだ」と言われた阪田が仕方なく別の手を指すと、結果的に敗れて悔しい思いをした。後年に好敵手となった関根と阪田は名勝負を繰り広げた。
日本将棋連盟は昭和時代初期に規定を変更し、「同一手順3回で千日手」と改定した。これを適用すれば――関根-阪田戦は千日手で無勝負となった。ただその規定には、手を変えれば手順が無限大に広がるという欠陥があるのが後年に判明した(詳細は第1図)。
米長-谷川では千日手模様が約60手続いたことも
1983年3月に行われたA級順位戦の米長邦雄棋王(当時39)と谷川浩司八段(同20)戦の終盤では、千日手模様の手順が約60手も続いたこともある(詳細は第2図)。
両対局者と記録係は同一手順の範囲を見分けるのが困難だった。その後、谷川が打開したが、米長の受けの好手を見落として敗れた。
千日手模様の手順が延々と続いた事例は時にあり、一方の対局者が理事会に仲裁を求めたこともあった。



