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ホンダのMotoGPエンジンを外国人が設計…「エンジンのホンダ」が下した決断は吉か凶か? 最速エンジンをつくったエンジニアの実力とは
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遠藤智Satoshi Endo
photograph bySatoshi Endo
posted2025/07/02 11:00
苦戦が続く2025年型RC213VとHRCのエース、ジョアン・ミル
この数年、低迷が続いたホンダは、外国メーカーから多くのレーススタッフを獲得してきた。そのほとんどがサスペンションや車体設計、空力など、日本のメーカーが遅れをとってきた分野だが、ついには、エンジン設計に外国人エンジニアを招いた。時代の移り変わりとは言え、トリブのホンダ移籍には日本人だけでなく多くのパドック関係者が驚くことになった。
ホンダは1950年代にグランプリへの参戦を始めて以来、多気筒、高回転エンジンで高出力を発揮し、ヨーロッパメーカーを打ち負かしてきた。1966年には、50cc(2気筒)、125cc(5気筒)、250cc(6気筒)、350cc(4気筒)、500cc(4気筒)の全クラスを制覇。ホンダの活躍によって次々とルールが改正されるほどだった。
その後のホンダは4輪車の開発に力を注ぐため一時期グランプリから撤退するが、1979年に4ストローク4気筒楕円ピストンのNR500でグランプリ復帰を果たす。この時期、グランプリは2ストロークエンジンが主流で、4ストロークエンジンでは勝てなかった。しかし、同一排気量なら圧倒的にパワーに勝る2ストロークエンジンに、あえて4ストロークエンジンで挑戦していくところがホンダの真骨頂だった。
常勝時代を築いたエンジン
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1980年代に入ると、ホンダは2ストロークエンジンにスイッチ。まずは、当時主流だった4気筒にあえて3気筒のNS500で挑戦してタイトルを奪還すると、次に登場させたV4のNSR500では、点火時期を変更する手法でアドバンテージを築いて90年代を席巻。4ストロークエンジンに変わった2002年以降も、主流のV型4気筒に対しV型5気筒のRC211Vでひとつの時代を築いた。
その後、排気量が800ccに下がった2007年に登場したRC212Vの時代は苦戦が続いた。その理由のひとつは車体とエンジンをコンパクトに作りすぎたことだが、改良を重ね、800cc最後のシーズンとなった2011年にはケーシー・ストーナーがチャンピオンを獲得。1000ccになった2012年以降のRC213Vは再びホンダの時代を築き上げたが、マシンのアドバンテージというよりもマルク・マルケスの貢献度が大きい時代でもあった。


