“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「う、嘘だろ…もうこの世にいないの?」38歳で逝去した元Jリーガーがサッカー少年に遺した不屈の闘志「ヨコさんは分厚い本を読んでいた」
text by

安藤隆人Takahito Ando
photograph by2024 RB OMIYA Inc.
posted2025/05/27 11:02

2023年に大宮のフィジカルコーチに就任した横山知伸さん。同年夏に脳腫瘍が再発し、2024年1月にこの世を去った
現役時代からサッカーに対して真摯で、何事にも努力を惜しまなかった。引退後に札幌のアカデミーで指導者の道を歩み出してからもそれは変わらなかった。
「たまに電話がかかってきて、時には愚痴も聞いたりしていたけど、ヨコは選手たち(札幌U-15の中学生)のことを悪く言うことは一切なかったですね。『アカデミーでもGPSで選手個々のデータが取れるから、それに基づいていろいろメニューを考えたり、一緒に取り組んだりすることが楽しい』と声を弾ませることもあって」
現役時代に3年間プレーした愛着のある大宮に戻った矢先の再発。それでも横山さんは“カムバックの再現”を目指し、懸命にリハビリに励んでいたという。
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以降、菊地は頻繁に連絡を取り、横山さんの思いに耳を傾けた。ただ、それぞれ山口と大宮にいたことで、顔を合わせる機会が少なかったことを悔やんでいる。
「最後に会ったのは……J2開幕戦の前日でした(2023年2月17日)。対戦相手がアルディージャで、ヨコもスタッフとして前泊していたんです。ホテルが僕の自宅近くで、『選手たちの朝の散歩コースを探しているから教えてほしい』と言われ、一緒にホテル周辺を散策しました。缶コーヒーを片手にたわいもないことを話しながら。でも、それがまさか最後になるとは思わなかった」
「ヨコさんの教えを忘れちゃいけない」
もっと質問しておけばよかった。再発したことすら知らなかった桑原にも後悔の念が浮かんでいた。同時に、札幌U-15卒団の時に贈られた言葉を噛み締める。
「高校に行ったらもっと厳しいこともあるし、むしろ厳しいことの方が多いと思う。でも、困難に直面した時に、簡単に諦めてしまったらお前の人生の中で大きな後悔になるぞ。人は人、自分は自分。自分をしっかりと持って、3年間頑張れ」
横山さんとの時間を反芻するうちに、桑原は覚悟を固めた。
「本気でフィジカルトレーナーを目指す、と。ヨコさんの教えを絶対に忘れちゃいけないと強く思いました」