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「野球部の暴力事件で濡れ衣を着せられた」張本勲18歳の巨人入団が消えた日…“無名の高卒1年目”がプロ野球で衝撃を与えるまで「野球をやめなさい」母は心配
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2025/05/11 11:00

現役時代、日本球界最多の3085安打を積み上げた張本勲
〈品川球団代表に張本獲得を申し出たんですよ。ところが、『巨人は野球部を除名されたような乱暴者はとらない』と、一言のもとに断られまして、獲得案はご破算になりました〉(※3)
除名されたわけではないが、処分だけを見れば、それに等しい。『紳士たれ』を掲げる球団とは縁がなかった。交渉を任せていた兄はスカウトの人柄に惚れて中日を勧めたが、張本は同郷の岩本監督、先輩の山本八郎の在籍するフライヤーズを選んだ。
「貧乏球団」東映に入団
だが、契約後に後悔する。兄に聞くと、契約金の提示は中日の600万円に対し、東映は200万円だったという。
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〈あとから金銭的な条件を聞いて、兄貴に食いつきましたよ。「なんでお金の話をせんのか!」と〉(※4)
八名が東映の懐事情を明かす。
「お金のない球団だったな。寮は病院を改築した建物で、部屋には薬品で息の根を止められた虫がたくさんいた。そんな所で寝られないよ(笑)。野球にも金をかけてなかったな。当時からジャイアンツはピッチングマシーンもあったし、打撃投手も雇っていた。東映は試合前、新人や2年目がバッティングピッチャーをする。その後、試合でも投げるんだから。すげえ野球だったよ(笑)」
主な高卒新人の契約金を見ると、板東英二(徳島商→中日)が2000万円、王貞治(早実→巨人)が1800万円。甲子園不出場とはいえ、スカウト陣に名が知れ渡っていた張本の額は明らかに低かった。入団の際、18歳の高校3年生は、大川博オーナーに物申した。
張本がプロ野球ルールを変えた
〈ぼくが二百万円という安い契約金で入団したことを覚えていてください。これからタイトルをとるたびに、ぼくはそれなりの要求はさせていただきます〉(※5)
浪商1年の時、校内弁論大会で「広島と原爆」というテーマで優勝した張本は、度胸と話術を兼ね備えており、44歳年上の権力者にも物怖じしなかった。