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「美和は包み隠さず相談してくれて…」西堀健実が明かす、元ペア浅尾美和との真実…“ビーチの妖精フィーバー”の裏でテレビに感じた「おかしさ」
text by

吉田亜衣Ai Yoshida
photograph byKazuaki Matsunaga
posted2025/05/22 11:02

西堀健実さん(Biid株式会社所属)のNumberWebインタビュー第3回
「美和は競技以外の仕事もこなして両立していて、今思えばあの若さでがんばっていました。だけど、勝てないのに取り上げられていたり、自分の知らないところでいろんなことを書かれたり。自分でコントロールできないことが起こっていて、隣で見ていて本当につらそうでした。そんなとき、美和は、包み隠さず私に相談してくれていたと思います」
当時テレビに感じたおかしさ「比べようとする周りが嫌でした」
西堀/浅尾組の目標は北京五輪出場。日本代表には佐伯美香/楠原千秋組、小泉栄子/田中姿子組らが筆頭におり、ベテランvs若手の構図が出来上がっていた。そんな見どころも後押しし、浅尾の人気も爆上がり。それとは相反し、西堀/浅尾組は国内外で際立った成績を叩き出すことはできなかった。
「美和だけが取り上げられていることに羨ましいとかは一切なかったです。逆にそうやって比べようとする周りが嫌でした。あと大会で優勝したチームが取り上げられてないのに、私たちがテレビで取り上げられていたこと。そういう扱いだったので、ワイルドカードをいただくことも多くて、風当たりが強いのも感じていました。私はビーチバレーがやりたい、勝ちたいと思ってやっているのに、それ以外のところで評価されるのはおかしい。訳がわからずに混乱してしまうこともありました」
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それでも、浅尾と別れて、他の選手とペアを組むという選択肢はなかった。
「当時は、自分で生きる道を探すということが想像できなかったんでしょうね」
ベテランが退き、新時代を迎えた2009年。ペア続行を決めた西堀/浅尾組だったが、国内ツアーは準優勝1回に終わり、ツアー女王の座には届かなかった。4年半続いた浅尾とのペアは2009年シーズンをもって終了した。
「テレビ番組を見ていましたよ、と言っていただいて」
2010年から、西堀は浦田聖子とペアを組むことになった。その浦田が事務所に所属しスポンサーを獲得しながら活動していたのを見て、自分もわからないなりに動いてみようと思った。
「当時パソコンを持っていなかったので、インターネットカフェに行って名刺やプロフィール、経歴、要望を書いてプレゼン資料を作りました。次に、自分とゆかりのある企業さんを探してご挨拶に行きました。そしたら、いろいろなところで、美和と一緒に出ていたテレビ番組を見ていましたよ、と言っていただいて。費用対効果があると判断していただき、応援してくださる会社さんも見つかりました」