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「28歳で死去…破滅した天才ボクサー」“27戦27勝27KO”エドウィン・バレロとは何者だったのか?「映像と全然違う」対戦者が語る“本当の実力”
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渋谷淳Jun Shibuya
photograph byGetty Images
posted2025/03/11 12:20

2010年に28歳の若さでこの世を去ったエドウィン・バレロ。日本を離れて以降は、薬物とアルコールの濫用が伝えられていた
「日本チャンピオンになって、世界ランキングにも入ったんですけど、なかなか世界戦が決まらなくて……。日本タイトルを防衛していくと、周りからも『いつ世界タイトルに挑戦するの?』って聞かれるんです。日本タイトルを返上したときは一度辞めようと思ったんですよ。結婚して子どももいましたし。結局戻ってきたんですけど、30歳までに決まらなかったら本当に辞めよう。そう考えていました」
当時は今のように日本が4団体を承認しておらず、挑戦できるチャンピオンはWBAとWBCのみ。さらに階級が上がれば上がるほど世界挑戦は難しく、スーパーフェザー級は日本人選手にとってハードルの高い階級でもあった。
鮮烈な記憶「映像とスパーリングの印象が全然違う」
吉報が届いたのは2007年、まだ寒かった時期だ。帝拳の本田明彦会長が角海老宝石ジムを訪れ「バレロとやるか」と聞いてきた。本望が即答したことは言うまでもない。30歳の誕生日まであと数カ月だった。
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とはいえ心が躍ったのは一瞬に過ぎなかった。あの化け物に勝たなければならないのだ。バレロが来日して間もないころ、一度スパーリングをしたことがあり、その強さは身をもって知っていた。
「めちゃめちゃ強かったです。見た映像とスパーリングの印象が全然違ってたんですよ。試合映像を見るとパワフルで粗い印象なんですけど、実際に手を合わせてみると上手い。ジャブの打ち方、パンチのつなぎ、出入りの速さ、角度の作り方、一つひとつの技術が高いんです。もちろんパンチは強い。タイミングも独特で、挑戦が決まったときは一度スパーを経験していて良かったと思いました」
本望はスパーリングの経験を踏まえ、腕利きの田中栄民トレーナーとともにバレロ攻略法を練り、トレーニングで体に落とし込んだ。
「入り際に右を合わせる練習をたくさんしました。バレロはパンチのつなぎがものすごく速い。なので外してから打つとそこに合わされてしまう。だから入り際に合わせるか、相打ちのタイミングでカウンターを打つ。仮に外して打つにしても、よけたらすぐ打つイメージで練習しました」
本望はフットワークを駆使し、ジャブを軸に相手を翻弄しながらペースをつかんでいく日本の誇る技巧派だ。そのベースを維持しながら、シャープなカウンターを決めて試合を優位に進めようと目論んだのである。
<第2回に続く>
