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「福岡第一に進学していなければ、今日の河村勇輝は存在しない?」河村勇輝の恩師が明かす高校入学秘話「うちに来る気配はないなって…」
posted2025/03/12 17:00

福岡第一で「高校ナンバー1ガード」に君臨した河村勇輝
text by

青木美帆Miho Awokie
photograph by
AFLO
発売中のNumber1115号に掲載の《[最強世代の記憶]福岡第一高校「青春の覚悟」》より内容を一部抜粋してお届けします。
「高校ナンバー1ガード」に君臨
河村勇輝が高校3年間の大半を過ごした場所は、福岡第一高校と細い道路をはさんで隣り合った第一薬科大学の体育館だ。
監督の井手口孝の案内で、コート横の監督室に入る。壁という壁が賞状や盾や集合写真で埋め尽くされた、緑を基調とした室内。赤と水色に彩られた一角は嫌でも目に付く。言わずもがな、日本代表とグリズリーズの河村のグッズだ。
「うちの賞状が増えたら廊下に出します」
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井手口は軽口を叩いたが、ガラスケースに飾られたそれらはしっかり来客者用ソファの目の前にディスプレイされている。
河村のバスケットボールキャリアを語るうえで、福岡第一で過ごした3年間を紐解かないわけにはいかない。
1年冬のウインターカップでセンセーショナルな全国デビュー。2年時はU18日本代表の活動で不在だったインターハイこそ逃したものの、混合チームで挑んだ国体とウインターカップで優勝を収め、「高校ナンバー1ガード」に君臨した。
向かうところ敵なし状態だった3年時は、B3クラブを倒して天皇杯を勝ち上がり、千葉ジェッツと好ゲームを展開。ウインターカップをぶっちぎりで制した直後に特別指定選手として三遠ネオフェニックスに加入し、「高校生Bリーガー」として鮮烈な活躍を見せた。
福岡第一に進学していなければ…
福岡第一に進学していなければ、今日の河村勇輝は存在しない可能性が高い。
ただ、それはおそらく井手口が手取り足取り育てたから、ということではない。
井手口は言う。
「うちは彼がのびのびと育っていく環境を整えただけっていう感じなんですけどね」
福岡第一は河村自身、そして大多数のバスケットボール関係者が築いてきた「身長の低いバスケットボール選手に未来はない」という既成概念を壊し、大きな自信を与えた場所だった。
時は2016年に遡る。
柳井市立柳井中3年生の河村は、キャプテン、そしてエースとしてチームを初の全国大会とベスト16に導いた。その実力は当時から図抜けており、山口県内の試合では一人で50~60点稼ぐ選手だった。