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ドラ1から「イップスで1試合も投げられず戦力外」に…どん底だった元DeNA北方悠誠の人生を大逆転させた「信じられない出来事」とは!?
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氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byJIJI PRESS
posted2025/02/22 11:15

2011年のドラフトでベイスターズに1位指名され、DeNA第1期生となった北方悠誠(右)。波乱万丈すぎる人生を語った
「ベイスターズには3年間いたんですけど、最初の2年は思い描いていた通りでした。3年目にいろんなことがあって、そこからですね」
県立校ならピッチャーができる、と
北方の名前が全国区になり、プロ注目選手となったのは高校3年生の夏だ。
子どもの頃からめっぽう肩が強く、投手を志望したが、コントロールが安定しなかった。軟式野球で鳴らした中学時代も遊撃手兼2番手投手だった。
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そんな北方が「県立の唐津商業なら投手ができる」と聞きつけ、予定した高校の受験を回避して進学先を変えたことで、人生が大きく動いた。
2年春にエースになると、入学時は131キロだったストレートは140キロまで伸びた。同年秋には145キロに到達し、スカウトの目にも留まるようになった。そして、高校3年夏には150キロを計測。さらにはチームを甲子園に導いたのだった。
甲子園では2回戦で作新学院に敗れたものの、初戦を突破。豪快に腕を振る投球スタイルは荒削りながら魅力的で、150キロを連発する北方の姿に期待を寄せたスカウトは少なくなかった。
プロ生活の青写真
そしてベイスターズから1位指名を受けた。TBSが球団を売却し、親会社がDeNAに替わろうという年だった。
「同期は高卒ばかりでしたけど、これから新生ベイスターズの中心になっていくとか、そういうのはなかったですね。ドラフト1位といっても、僕の場合、ハズレハズレでしたし、2位の高城(俊人)の方が期待されていたと思います。3年から5年くらい下積みをして、一軍で活躍できるようになれれば……くらいに思っていました」
2年目までは順調だった。悔いがあるとしたら、好調だった2年目のシーズンに一軍経験を積めなかったことだ。チームは最下位をさまよっていたが、「勝つことが優先」とされて高卒の若手には出番が回ってこなかった。