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ドラ1から「イップスで1試合も投げられず戦力外」に…どん底だった元DeNA北方悠誠の人生を大逆転させた「信じられない出来事」とは!?
posted2025/02/22 11:15

2011年のドラフトでベイスターズに1位指名され、DeNA第1期生となった北方悠誠(右)。波乱万丈すぎる人生を語った
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氏原英明Hideaki Ujihara
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JIJI PRESS
26年ぶりの日本一はかつてのドラ1右腕にとっても感慨深いものだった。
「MVPをとった桑原(将志)は同期ですし、2年先輩の筒香(嘉智)さんも活躍されていました。日本シリーズで2試合に先発した(アンドレ・)ジャクソンもドジャース時代のチームメイトだったんで、嬉しかったですね」
ベイスターズが「DeNAベイスターズ」を名乗る直前のドラフトで指名された男、北方悠誠はそう言って、以前の同僚たちが果たした載冠を喜んだ。
DeNA第1期生として入団
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北方は2011年のドラフト1位で入団。その年は高卒選手が8人指名を受けるなど、新生ベイスターズの船出に向けたドラフトとなったが、なかでも未来へ大きな期待をよせられた一人だった。
しかし、そのキャリアは期待とはいささか異なるものになった。ベイスターズでは3年目のオフに契約満了を言い渡された。翌年に育成枠でソフトバンクに拾ってもらったものの、ここでも結果を出せず、その後は独立リーグを転々とした。トライアウトは3度も受験し、独立リーグで所属したチームは最終的に5つにのぼる。
ところが、BCリーグ栃木に所属し、自身ラストシーズンのつもりで臨んだ2019年にロサンゼルス・ドジャースからのオファーを受けた。プロ2年目に158キロを記録してから、130キロ台まで落ちた球速が復活し、160キロに到達したことで、海の向こうから声がかかったのだった。
波乱万丈の人生を語る
アメリカでの挑戦が実を結ぶことはなかったが、中学生まで控え投手だった少年が、佐賀県の県立高校を経てプロにドラフト1位指名され、戦力外となってからメジャーにあと一歩まで迫ったのだ。まさに波乱万丈の人生ではないか。
「本音を言うと、1試合でもいいからドジャースタジアムで投げたかったですね。それは悔しいです。でも、野球を長く続けてきてよかったなって思います」
今も人の良さが滲み出る語り口は、厳しい勝負の世界に身を置いていた人物とは思えないほどだ。今回の取材も「消えた天才」という、少し失礼と感じる人もいるだろうテーマをダイレクトにぶつけたが、快諾してくれた。