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「巨人を後悔させてやる」星野仙一が大乱闘で王貞治に拳を向け、”落合博満獲得合戦”をひっくり返したわけ…「根底にはドラフトの遺恨が」
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2024/12/28 11:06
1987年6月11日、宮下がクロマティに与えた死球からの乱闘で、王貞治監督に詰め寄る星野仙一(当時40歳)
「巨人のホテルがどこか調べろ!」
部屋に戻ると今度は「巨人の泊まっているホテルがどこか調べろ」と早川に命じた。
「いまから乗り込もうっていうんですよ。『ダメです。それをやったら犯罪になります』と必死に止めました」
まだ身近なところに暴力があった昭和のプロ野球の話だ。その中心に中日がいて、巨人とただならぬ雰囲気を作り出すのはいつも星野だった。
「オレを指名しなかったことを、巨人に後悔させてやる」
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「やっぱり根底にはドラフトがあったと思います」
星野が巨人に特別な思いを抱くようになった理由を早川はこう語る。1968年のドラフト。巨人は「田淵(幸一捕手・法大)を指名できなければキミを1位でいく」と明大・星野仙一投手に約束していた。しかし直前に星野の右肘不安の情報を掴み、武相高の島野修投手を1位指名した。
「オレを指名しなかったことを、巨人に後悔させてやる」
その一念で星野のプロ生活は始まった。
「中日に入団したときの監督が水原(茂)さんだったのも星野にとっては幸運だった」
こう語るのは中日スポーツの星野番記者から球団広報も務めた児玉光雄である。
水原監督にルーキーが直談判
元巨人監督で同じく打倒巨人に執念を燃やす水原に、ルーキーの星野が大胆な直談判をした。
「僕を巨人戦で投げさせてください。必ずやっつけてみせます!」
この直訴を水原も受け入れ、星野と巨人のライバル物語が始まることになる。巨人戦の生涯通算成績は35勝31敗。勝率5割3分は巨人戦で30勝以上した“巨人キラー”の中でもトップだった。
名古屋のファンにとって巨人は、強大な資金力による巨大戦力で相手を踏み躙る映画「スター・ウォーズ」の“悪の帝国”のような存在である。その巨人に立ち向かう“ルーク・スカイウォーカー”星野仙一の熱投にファンは喝采を送った。
「計算してやっていた部分もあったと思います。権藤(博・元中日投手コーチ)さんが言っていたけど『自分が調子いいときほど、フラフラな様子で巨人を抑える。ベンチに戻るとケロッとしているんだ』ってね。死力を尽くして巨人を倒す。そんな燃える男を星野は演じていたんです」
児玉は振り返った。