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「先輩方はキャバレー回りから始めて…」クラッシュ・ギャルズはいかに女子プロレスを“変えた”のか? ライオネス飛鳥が抱いた「時代を壊したい」という夢

posted2024/12/16 11:03

 
「先輩方はキャバレー回りから始めて…」クラッシュ・ギャルズはいかに女子プロレスを“変えた”のか? ライオネス飛鳥が抱いた「時代を壊したい」という夢<Number Web> photograph by AFLO

ライオネス飛鳥が振り返る“クラッシュ・ギャルズという社会現象”

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Netflixのドラマ『極悪女王』のヒットによって、今ふたたび、ダンプ松本やクラッシュ・ギャルズが活躍した80年代の女子プロレスが注目を集めている。芸人・玉袋筋太郎、構成作家の椎名基樹、プロレス格闘技ライターの堀江ガンツの3人が、当時の女子プロレスラーや関係者にインタビューした『玉袋筋太郎の全女極悪列伝』(白夜書房)より、2023年に収録したライオネス飛鳥のインタビューを抜粋して紹介する。飛鳥の証言で振り返る、クラッシュ・ギャルズの舞台ウラ。《全3回の第2回》

◆◆◆

ガンツ 憧れのジャッキーさんと同じ団体に入って、内側から見た印象はいかがでしたか?

飛鳥 私は新人の頃から「ジャッキー2世」ってポスターにも書かれていたんで、すごく可愛がってもらったんですよ。普通じゃありえないことなんですけど、トップスターのジャッキーさんが新人の私に対して手取り足取り教えてくれて。ジャッキーさんの得意技だったビッグブーツも「使っていいよ」って言ってもらえて。それで16歳の私は調子に乗っちゃったんですね。ある日、モンスター・リッパーがソバージュをかけてきて、ジャッキーさんが「モンちゃん可愛いね」って言った時、私が「ジャッキーさん、自分は?」って言ったら、それ以来一言も口利いてくれなくなったんですよ(笑)。

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ガンツ ジャッキーさんがモンスター・リッパーを「モンちゃん」と呼んでいたことも衝撃ですが(笑)。可愛がってはいても、新人が調子に乗って軽口を叩くのは許さなかったんですね。

玉袋 詫びを入れたりしてもダメなんですか?

飛鳥 ダメですね。

玉袋 カテエ!

「人にも自分にも厳しかった」ジャッキー佐藤

飛鳥 でも、ジャッキーさんは人にも厳しいけど、自分にも厳しい人だったんですよ。最後ご病気になられた時、全女の30周年の大会(1998年11・29横浜アリーナ)の時にビューティ・ペアが来られたんですけど、その時も痩せ細っていて。なんか人伝えに聞いたら、完治に向けての治療をしなかったようなんですよ。

玉袋 そうなんですね。

飛鳥 ジャッキーさんのインタビューを見ると、「40代の人生でいい」って言ってらっしゃったんですけど、本当に41歳ぐらいで亡くなったんで。

玉袋 まあ有言実行とはいえ寂しいですよね。

【次ページ】 女子プロレス黎明期の“キャバレー回り”

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