酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「ナイター後、車で宿に戻るのは夜中2〜3時」筒香嘉智24歳がデバース、ポランコらとドミニカで…サポートした阪長友仁43歳が見たリアル
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2024/05/31 11:04
筒香嘉智が世界の野球に興味を持つようになったきっかけは、阪長友仁氏の存在があったからのようだ
「各国のウィンターリーグは翌年の契約が決まっていない現役メジャーリーガーやマイナーリーガも参加し、活躍すればメジャー契約にもつながる可能性があるので各選手も全力でプレーします。そこで2013年に参加できるかどうか、アプローチしたもののうまくいかなかった。
2014年に仕切り直しで交渉しました。ドミニカ共和国には野手はたくさんいるが、投手がほしいということでなかなか思うように話が進まなかったのですが、偶然が重なって出会ったレオーネス・デル・エスコヒードのGM補佐と交渉がまとまりプレーする機会を得ました。ところが今度は日本側が、前例がないことだったので慎重になって、OKが出なかった。そこで2014年のオフは、ドミニカ共和国に筒香選手とともに渡航して、試合には出ないけど練習に参加したりした。筒香選手自身もここでの経験が自分の成長につながると実感して、2015年に3年越しで希望がかないました」
デバース、ポランコらとも切磋琢磨した
2015年の12月、レオーネス・デル・エスコヒードの外野手として、当時24歳の筒香嘉智は、約1カ月間プレーした。阪長氏は通訳を務めたほか、球団とのコーディネートや、生活面も含め、筒香の全面的なサポートをした。
「4番や5番など中軸で使ってもらって、数字はそれほど良くなかったのですが(10試合34打数7安打0本2打点、打率.206)、投手の投げる球も、環境の違いも実感したと思います。何時間も車で移動して、ナイターの試合をして、そこからまた何時間もかけて夜中の2時とか3時に宿に戻るような経験もしました。食べ物も全然違うし、そんな中で実力を発揮しなければならない」
この時のロースターを見ると、今はボストン・レッドソックスの中軸を打つラファエル・デバースの名前がある。また、現在ロッテの主軸を務めるグレゴリー・ポランコもいた。筒香は、こうしたメジャーの卵たちとも切磋琢磨したわけだ。
「オフの日には、ドミニカ共和国の子供たちが野球をしているのも見に行きました。地元の低所得者層の人たちが住む町にも足を運んで、普段は見ることができない素顔のドミニカ共和国も経験しました。
筒香選手は高校時代から活躍し、日本のプロ野球での道を歩んでいましたので、なかなか海外の野球や文化に触れる機会はなかったと思います。そう言った意味ではドミニカ共和国での日々は一つの大きな経験になったのではないかと思います。
それだけが原因ではないとは思いますが、筒香選手は翌2016年に本塁打王と打点王の2冠を獲得します。そして同時に高校卒業前にMLBの試合を観戦してからずっと持っていた『メジャー挑戦』という夢を具体的に考えるようになったんだと思いますね」
少年野球への提言など、筒香の行動の原点に
2016年のオフから、筒香嘉智は堺ビッグボーイズに帰って来ると報道陣を集めて「少年野球の改革」について、熱い言葉を発信するようになった。
筒香は、それ以後も少年野球の未来に向けて、現役選手としては異例なほど積極的に発言してきた。また故郷の和歌山県橋本市に「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY(筒香スポーツアカデミー)」を創設したのも、このときの「志」に端を発していた。
MLB挑戦は残念ながら期待通りとはいかなかったが、筒香嘉智の心の中には「ドミニカ共和国で見上げた青空」がいまだに広がっている。
<つづく>