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《独占インタビュー》石川祐希が明かした自負「それでも僕が先頭に立っている」世界最高峰イタリアで掴んだ成長の証「僕にしかできなかったこと」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byTakahisa Hirano
posted2024/05/25 11:00
イタリアでの9年目のシーズンを終えた石川祐希。ミラノではクラブ史上初の3位に貢献。来季からは王者ペルージャでプレーすることが決まっている
「よく耐えたなぁ、って思いますよ(笑)。耐えた、というとめっちゃ苦しい、みたいな感じだから、違うかな。よくやったな、よくやってるな、のほうが正しいですね」
最初は2014年、中大1年時に短期派遣でモデナへ。ブルーノ・レゼンデやイアルバン・ヌガペトといった世界のトップオブザトップの選手が揃う中、コッパイタリアでモデナが頂点に立つ姿を見て「自分もあの場所に立ちたい」と未来を描いた。そこからラティーナ、シエナ、パドヴァ、ミラノで延べ9シーズンプレーした石川は、日本のトップランナーであり続けた。
「僕にしかできなかったことだと思います」
地道にステップアップしてきた、と振り返る、当時と今。石川と同様に10代、20代前半で海外へ渡る選手が置かれた環境の相違を客観的かつ正確に見ていた。
「明らかに違いますよね。僕が来た頃は日本代表も強くはなかったし、評価も高くなかった。今は日本代表も日本人選手の評価も高いので、最初からいいチームに行ける可能性も十分あります。年俸も他の選手とは比較できないですけど、間違いなく僕が1年目に来た頃よりは全然いいだろうし、早くから経験を積めていることもいいな、とは思います。でも、僕は代表が強くなっていく過程でイタリアでもステップアップしてきた。それは、僕にしかできなかったことだと思いますし、日本人の評価も少し上げられたんじゃないかな、と。将来、子どもたちがイタリアでプレーしたいと考えたり、言いやすい環境もつくれたとは思っているし、そうありたいとも思ってやって、今もやり続けています」
振り返ればラティーナではプレーオフよりも残留争いが現実的で、シエナではわずか3勝。パドヴァはプレーオフ圏内にいたものの、新型コロナウイルスの世界的大流行に伴いリーグ自体が中止を余儀なくされた。イタリアで戦うと決めた直後から、「世界ナンバーワンのアウトサイドヒッターになりたい」と目標を掲げてきたが、当初はクラブでも、日本代表でも対峙するトップ選手たちを見上げる位置にいた。
成長できている証
変わり始めたのは'19年のワールドカップで日本が4位に入り、東京五輪でベスト8進出を果たしてからだ。