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アイルトン・セナ没後30年目のポールポジション…不世出のドライバーがホンダとF1界に遺したもの
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2024/05/23 11:00
イモラの街中に掲げられたセナの肖像。30年の時を経てなお、人々の心に強く刻み込まれている
セナとホンダの絆が深まったのは89年。その年の日本GPでアラン・プロストと接触した後、トップでチェッカーフラッグを受けながら失格となってタイトルを逃したセナは、F1をやめようと真剣に考えていた。それを思いとどまらせたのがホンダだった。ホンダのエンジニアたちが自分のために最高のエンジンを提供しようと冬の間に努力しているという事実を知ったセナは、ホンダとともに90年シーズンを戦い、チャンピオンに返り咲いた。
現在、ホンダ・レーシング(HRC)のトラックサイドゼネラルマネージャーとしてHRCのスタッフを現場で統率する折原伸太郎は、セナがホンダとタッグを組んでF1に挑戦する姿を見ていたひとりだ。
「学生のときにセナを見て、F1をやりたいと思ってホンダに2003年に入社しました。そういう人は私だけでなく、ホンダにはたくさんいます。セナがホンダに遺してくれたものは本当に大きいんです」
セナの遺志を継ぐ者たち
レッドブルでHRCチーフメカニックを務めている吉野誠も、学生時代にテレビ中継しているF1の番組でセナの存在を知ってF1を目指し、ホンダに入社した。
「私がF1の部署に配属されたのは、第3期F1活動の少し前の90年代後半なので、セナと一緒に仕事することは叶いませんでしたが、セナの話は先輩たちから聞いていました」
ホンダが第3期F1活動を開始してから4年後のサンマリノGPは、セナ没後10年目だった。この年、ホンダがエンジンを供給するB.A.R.がイモラでポールポジションを獲得。これは第3期F1活動でホンダが初めて手にしたポールポジションだった。
没後30年となった今年のエミリア・ロマーニャGPで、吉野は仲間を引き連れてセナがクラッシュしたタンブレロへ赴き、その内側に建てられた銅像に手を合わせた。
そのエミリア・ロマーニャGPの予選でポールポジションを獲得したのは、ホンダがタッグを組むレッドブルだった。
「没後20年だった2014年はイモラでF1が開催されていなかったため、今年は04年以来、20年ぶりの節目のイモラ。その特別な週末で再びポールポジションを獲得できて良かった」
吉野はそう言って、少しだけ笑った。
セナが亡くなったという事実を変えることはできない。ただ、残された人々の中には、あの事故によって人生を大きく変えられた者もいる。それほど、セナという存在は大きかった。そのことを没後30年のイモラであらためて感じた。