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「東農大が通るまで踊り続ける」TVに映らなかった“大根踊り”の真実…応援団を直撃「大根は2kg」「よくよく聞くと“婚活ソング”」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byNanae Suzuki

posted2024/01/02 13:47

「東農大が通るまで踊り続ける」TVに映らなかった“大根踊り”の真実…応援団を直撃「大根は2kg」「よくよく聞くと“婚活ソング”」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

大根を持つ応援団員。あの大根おどりを詳しく取材すると、意外な事実が…

「大根踊り」の起源は?

 そもそも「大根踊り」はなぜ生まれたのだろうか。その謎を紐解くには、この歌の正式名称「青山ほとり」を知る必要がある。作られたのは1923年(大正12年)で歴史は実に100年以上。今回で100回を迎える箱根駅伝の第1回大会は1920年であるから、同じような原風景の中で産声をあげたと言える。当時東京農大はまさに「青山のほとり」である東京・青山に校舎を構えていた。現在は青山学院中等部がある辺りとされ、渋谷駅から徒歩10分程度の超一等地だが、当時周りにあったのは緑豊かな常盤松の松林。その風景が冒頭の『青山ほとり常磐松』という歌詞に描かれている。

 作詞・作曲は当時東農大の学生だった市山正輝。曲はその出身地である北海道・湯の川温泉付近で歌われていたものをアレンジしているのだという。『知られざる東京農大史 語り継ぐべき農大百二十五年の記録と記憶』(内村泰著)を参考に、中曽根准教授が解説してくれた。

「農大を讃え、農業の尊さを広く知ってほしいということで作られたので、歌詞もユーモアを交えて作詞されています。当時の学生に広く愛されて、次第に運動部の応援で使われるようになったそうです」

歌詞の最後は「そりゃ結婚せ結婚せ」

 確かに4番まである歌詞の中でも、1番は『農大健児の意気を見よ 今日も勝たずにおくものか』と応援にぴったりの威勢のいいものであるのに対し、2番は『お前達や威張ったって知っちょるか お米の実る木は知りゃすまい』と土の香りも豊かな農業讃歌となっている。

 さらに3番の後半から4番に至っては、『人間喰わずに生きらりょか』と食べるものには困らない農家の素晴らしさを謳い、『お嫁に行くならお娘さんよ お百姓さんに行きゃしゃんせ』と猛アピール。最後は『お腹の貧しい事はない そりゃ結婚せ結婚せ』で締めており、言ってみれば農家の男たちの“婚活ソング”になっているのだ。

【次ページ】 なぜ、大根だったのか?

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