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「僕にとってはリアルな話」侍ジャパン・岡林勇希が語る「下剋上球児」の舞台裏…モデルとなった白山高に敗れた16歳の夏〈趣味はドラマ鑑賞〉
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/11/27 06:00
夏の甲子園第100回大会で入場行進する白山高校の球児たち
2018年7月21日。三重大会3回戦(津市営)で、菰野高校2年生の投手兼主力打者だった岡林は、白山と対戦した。
「白山とは春の大会でも試合をしていて、僕は1安打完封しました。ただ、コールドで勝てるくらいに思っていたのが、3対0。予想以上にきつかった。なので夏に同じブロックに入っているのを知った時には、ちょっと嫌でした」
「下剋上球児」のリアルは…
草だらけのグラウンドで、部員がたった1人だった時期もある。最寄り駅の電車は2時間に1本、部員の多くは志望校の受験に失敗し、白山にやってきたこと。これらは岡林もよく知る「リアルな事情」である。前年夏の勝利に続き、春も12奪三振で完封。それでいながら不気味な雰囲気を感じさせられた。裏を返せば、油断することなく迎えた夏の対戦だった。
2回戦から登場した菰野は、3回戦以降の先発投手を決めていた。阪神の西勇輝など、戸田直光監督の投手育成手腕には定評があり、この年も岡林だけでなく3年生エースに田中法彦がいた。この秋のドラフトで広島から5位指名(現在は退団し、セガサミー所属)されたパワー系の右腕。3回戦と準決勝を岡林が投げ、準々決勝と決勝戦は田中、つまり交互に投げるという青写真だった。
「岡林交代」から変わった流れ
先発投手としての岡林は申し分のない働きをした。6回を4安打、無失点。しかし、攻撃陣も6回まで1点しか奪えず、僅差のまま終盤に突入した。ちなみに書籍の「下剋上球児」には、この試合で菰野を抑えた投手は、受験時に菰野を落ちて白山に進学したというエピソードが紹介されている。
「僕の球数は確か78球くらいだったんです。全然、完投もできるペースでしたが、6回のピンチで(ベンチからの伝令が)この回をしっかり投げ切れと。それで交代するんだなと思ったんです」
当日は快晴で日差しも厳しかった。体力面だけでなく、岡林に頼り切る投手力ではなかった戦力面を考えても継投はうなずける判断だが、ここから試合の流れは一気に白山へと傾いていった。