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「僕にとってはリアルな話」侍ジャパン・岡林勇希が語る「下剋上球児」の舞台裏…モデルとなった白山高に敗れた16歳の夏〈趣味はドラマ鑑賞〉
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/11/27 06:00
夏の甲子園第100回大会で入場行進する白山高校の球児たち
8回に一挙3点を奪われて逆転を許す。その裏に2点を取り返して追いついたが、9回二死からソロホームランを打たれて再び勝ち越された。それでも9回は無死からチャンスをつくり、同点、あわよくばサヨナラの機運も高まった。
「9回に限らず、僕があの試合のどこかで打ってれば勝ってたんですよね」
先発投手の責務はまっとうした岡林だったが、5番打者としては4打数無安打。10年ぶりの夏の甲子園出場の夢は3回戦で散り、一気に波に乗った白山は甲子園の切符をつかみ取った。
「あの時ベンチが…」
白山のエースだった山本朔矢は、リトル・シニアリーグで岡林の1学年先輩でもあった。他にも顔なじみは何人もおり、この試合の後日談が耳に入ってきた。
「東(拓司監督)さんは試合中ずっと『我慢しろ。ピッチャー代わるから』とおっしゃっていたそうです。『あのまま岡林に投げきられていたら終わってたわ』とも。何でそう思ったのかはわかりませんが、交代した時に白山ベンチが盛り上がっていたのはそういうことだったのかなと。それが野球の怖さなんでしょうか」
新チームになっても甲子園には出られなかったが、岡林は秋のドラフト会議で中日から5位指名される。春も秋も白山を寄せ付けなかった投手としてではなく、打者としての評価だった。
3年目に最多安打、4年目に侍ジャパン。順調にステップアップする姿は、ドラゴンズスカウトの見立てが正しかったことを物語っている。ドラマが大好きな岡林であっても「リアルな事情」を知っているがゆえに「下剋上球児」だけは無条件には楽しめない。あの夏、あの試合、もしも岡林が完投していたら……。9回の絶好機に打っていたら……。岡林がプロで活躍する未来に変わりはないだろうが、白山の「下剋上」は未遂に終わり、原作本もドラマもこの世にはなかったことになる。