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中日“ほぼ決まっていた”中村剛也ドラフト1巡目指名…星野仙一は賛成もなぜ消えた? 割れた意見「俺はよう使わんよ」「自分の言い方も悪かった」
text by
中田宗男Muneo Nakata
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/21 11:03
いずれ球界を代表するスラッガーに成長する中村剛也(西武/写真は2001年入団発表時)
さて外れの1巡目指名だ。中村はどこからも指名されずに残っていたのだから、ここで獲ろうと思えば獲れた。だが、私の耳には「獲ってきても、俺はよう使わんよ」という言葉がずっと残っていた。中村は中日に指名されて幸せな野球人生を送れるだろうか?
そう考えると外れ1位で中村を推せなかった。
上位に「キャッチャー2人」の後悔
こういったいきさつもあり、外れ1位は「高校生の野手を獲るならキャッチャーを獲ってよ」という、これも山田さんの希望を受け入れる形で、中京大中京高のキャッチャー、前田章宏を指名した。
当時の正捕手中村(編注:中村武志)も34歳。自慢の盗塁阻止率も落ちていたから、キャッチャーの強化も課題ではあった。だから山田さんは高校生の大砲候補よりもキャッチャーを欲しがったのだろうと思う。だがキャッチャーは3巡目で九州共立大の田上を逆指名に近い形で抑えていた。だからこの年は上位指名2人がキャッチャーになるという歪な指名になった。
ちなみに、この年の年末にはメジャー移籍が実現しなかった谷繁も入団しているが、もちろんこのときはそんなことは知るはずもない。それがわかっていれば、さすがに上位2人をキャッチャーでいかなかったと思う。
中村は結局、西武に2巡目で指名された。その後の活躍は振り返るまでもない。
「獲ってきても、俺はよう使わんよ」という山田さんの言葉が私のなかでずっと引っかかり続けていた。だが、今となっては自分の言い方も悪かったと反省している。
「寺原の1位はわかりました。でも寺原を外したときは中村でいかせてください」
そんな言い方をしていれば、もっと山田さんの顔も立てていれば、また違った結果になっていたかもしれない。私が意地を張り、山田さんとの意思疎通を図る努力を怠ったのだ。
落合博満「知ってるよ。中村だろ?」
余談だが、落合さんの監督時代に「生え抜きの右の四番打者」の話になったことがあった。
そのときに、「監督、すみません。私がつまらない意地を張ったばかり右の四番になれた選手を獲り逃がしたことがあったんです」と、このときのことを話した。すると落合さんは言った。
「知ってるよ。中村だろ?」
落合さんはそれ以上余計なことは何も言わず、「まぁ、色々あるわな」とだけ言った。
〈つづく〉