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「藤井さんは毒を吸わないんです」永瀬拓矢王座31歳が語った自身の“毒”の正体…「変異種」覚醒の一戦を振り返る《藤井聡太、八冠まであと1勝》 

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高川武将

高川武将Takeyuki Takagawa

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posted2023/10/11 06:00

「藤井さんは毒を吸わないんです」永瀬拓矢王座31歳が語った自身の“毒”の正体…「変異種」覚醒の一戦を振り返る《藤井聡太、八冠まであと1勝》<Number Web> photograph by KYODO

2015年、電王戦FINALに挑んだ永瀬。その圧倒ぶりはいまでも語り草に

 '14年、人間側は1勝4敗と惨敗。2年連続の負け越しとなり、棋士の間では「ソフトは人間を上回ったのではないか」と囁かれ始めた。翌年、今度は永瀬から「出てもいいですか」と鈴木に相談を持ちかける。鈴木は、その気持ちがあるなら出てほしいこと、ただ慣れないソフトの研究で生活はメチャクチャになるだろうし、公式戦も勝てなくなるかもしれないと、棋士としてのリスクも説いた。それでも永瀬は「勝つなら今しかないと思うんです」と出場を決めたのだ。負けたら辞める――そんな悲壮な覚悟を秘めて。永瀬の回想。

「子供の頃から名人、竜王こそ一番強いと信じていました。だから人間側が負け越して悔しかった。前年、豊島(将之九段)さんが凄い努力をされて勝ちましたけど、他の棋士はそこまでやってないんじゃないか、自分ならそれくらいの努力はできると……。ただ、本音では自分が矢面に立つのではなく、他の人に棋士の名誉を守ってもらいたいとも思っていたんです。だから、鈴木先生の口車にまんまと乗せられた(笑)。負けたら辞めるというのも、今考えると狭い価値観で……若かったですね」

 乗ったのか、乗せられたのか。いずれにしろ、永瀬は猛特訓に入った。途中から対人の研究会は一切やめ、1日10時間超、貸し出されたソフトとの対局を繰り返す日々は「一種の中毒状態」で、本番までの総対局数は800を超えた。まだPCを研究に使っていない時代。慣れないマウスの操作で右腕に激痛が走ったとき、偶然指した角不成をソフトが理解できないというバグ(欠陥)に気づいた。ただ、本番では修正されてくることも考えられ、永瀬はSeleneの癖と勝ちパターンを見つけることに没頭した。

「1割くらいしか勝てない」。弱気の永瀬に鈴木が告げたこと。

 練習を始めてから大きな誤算に気づいていた。前年のSeleneであれば勝てる自信があったが、1年でかなり強くなっていたのだ。やってもやっても勝てない。

「1割くらいしか勝てないんです」

 電話の向こうでそう零(こぼ)す永瀬に、鈴木はこんなアドバイスを送る。

「プロは自分の武器が一つあれば、それを活かして勝つことができる。勝つ確率は10分の1じゃないんだ。やってきたことを出せば、絶対に勝てると信じている」

 だが、対局も誤算から始まった。序盤のSeleneは定跡通りに指す確率が高く、永瀬は時間を使わずに指し進める予定だったが、実際のSeleneはわずか5、6手で早くも定跡を外し力勝負に入ってしまった。ソフトの計算力と人間の読みというハンデ戦。永瀬にとっては辛い時間が続く。

「武器がないんですよ。勝てると信じてやるしかなかった」

【次ページ】 電王戦で変わった永瀬の”将棋観”

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