核心にシュートを!BACK NUMBER
なぜ崖っぷちでも「比江島タイム」が発動できた?…殊勲のヒーローが語った「0勝10敗、“悔しさ”の歴史」《バスケW杯ベネズエラ戦》
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byFIBA
posted2023/09/01 17:03
ベネズエラ戦でチーム最多の23得点を挙げた比江島慎。33歳のベテランが秘めた想いは…?
思えばリオ五輪最終予選は、日本バスケ界のレジェンドである田臥勇太が、日本代表のユニフォームを着て最後にプレーした大会である。田臥は渡邊の所属するフェニックス・サンズで日本人として初めてNBAのコートに立った選手であり、比江島にとっては宇都宮ブレックスの先輩である。そんな田臥とともに代表で最後にプレーしたのが2人なのだ。
最終予選で相手チームに40点近く引き離されながらも、ベンチで立ってチームメイトを鼓舞し続けていた渡邊が、その理由として田臥の存在を挙げていたことを思い出す。
「正直、点差が開いたときには、僕はベンチで少し気持ちが落ちていました。でも、田臥さんは一つのプレーのたびにベンチで立ち上がって、コートのぎりぎりまで出て行って、声を出していました。キャプテン(※当時のキャプテンは田臥)がああやっている姿をみて、いちばん若い僕がこんなことではダメだな、と。それで自分も最後までしっかり声を出そうと思いました」
渡邊雄太「日本代表って今の12人だけではないので」
そんな経緯があったからこそ、渡邊はベネズエラ戦後に力を込めて、こう語ってくれた。
「日本代表って今の12人だけではないので。今回選考でずっと争っていて、最後に残念ながら落ちてしまった選手がたくさんいます。それに、今まで日本代表にはしんどい時期がずっとあったんですけど、それを支えてくれていた人たちがいるおかげで、今、僕たちがみなさんの注目を浴びさせてもらっている。その歴史はつながっていると思うので。今までの歴史の中で、1秒も無駄な時間なんてなかったと思います。僕たちがパリ行きを決めることが、今まで頑張ってくれた人への恩返しだと思うので。次、絶対に勝って、決めます!」
32チームが出場できるW杯と比べ、はるかに少ない12チームしか出られないのが五輪という大会である。東京五輪の出場権は開催国として与えられたものだが、パリ五輪は違う。
アジア1位の国として、実力でその切符を勝ち取ることには大きな価値がある。それができれば、田臥を筆頭に日本代表での先人たちの頑張りがあったからこそ、今があると証明できるからだ。
今の日本代表は、歴史を作るため“だけ”に戦っているのではない。新たな歴史を作り、過去の歴史の意味を変えるために戦っているのである。