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フィンランドが「絶対フリーにしたくなかった」“ある選手”とは? バスケW杯で日本代表大金星…大逆転の最終クォーターに何が起きていたのか
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byFIBA
posted2023/08/28 17:02
自国開催だった2006年大会パナマ戦以来のW杯白星となったバスケ日本代表。過去11戦全敗だった欧州勢から初勝利を挙げた
ここからは河村がゲームを支配することになった。
相手の富永対策を逆手にとるかのように、河村がホーキンソンに決定的なパス。そこから得点が生まれ、2点差。これが残り6分10秒の時点だ。
そして、残り4分35秒。右サイドで相手と1 on 1のシチュエーションになった河村が強引にドライブして、相手のファールを受けながらもレイアップを決める。ボーナスのフリースローも決める3点プレー。これで79-78と日本がついに逆転に成功した。
こうなると、ホームの大声援を受けて戦う日本に傾いた流れは止められない。
河村はさらに3本の3Pシュートを決めて勝負あり。NBAのオールスタープレーヤーであるマルカネンを擁して強豪国にのしあがろうとしているフィンランドを相手に98-88で勝利をつかんだ。
その河村はゲームをこう振り返った。
「やはり1人に頼ることなく、全員がバランスよく点を取ること。1人がボールを持ち続けることなくボールをムーブさせて、いろいろなオプションを試していくこと。それが、相手に的をしぼらせることなく、得点に結びついたのではないかと思うので、(登録メンバーの)12人全員でバスケットをした結果かなと思います」
終わってみればチーム最多の9アシストを記録しつつ、富永と並んで最多タイとなる4本の3Pシュートを決め、沖縄アリーナを河村劇場へと変えてみせた。
ゲームをコントロールした「Bリーグの申し子」河村
河村は「Bリーグの申し子」と言える存在だ。高校3年生のときにインターン制度にあたる特別指定制度を利用し、当時最年少の選手としてデビューした。昨シーズンはMVPにも輝き、間違いなくBリーグでもっとも成長した選手である。
しかし、ここに至るまでに彼は苦しんでいた。
5月にBリーグで負ったケガによって出遅れた影響があったからだ。ケガをしてからの河村は「ケガをする前よりも強くなって帰ってくる」ことをテーマに、バスケにも野球にも精通したパーソナルトレーナーとともに肉体改造に取り組んでいた。
「下半身と上半身の連動性もそうですし、シュートを打つときの肩の連動性というのは、すごく大事です。野球とバスケにも通じるものがあるので、そういったところにも取り組んだことでシュートの感覚はさらに良くなったと思います」
確かな手ごたえはあった。しかし、正しいプロセスを踏んでいるのにもかかわらず、復帰後の試合ではなかなか3Pシュートが決まらなかった。